維新政党日本

我が国日本の真正なる独立を目指します。

自主防衛論

北朝鮮核武装が意味するもの

去る平成28年2月7日、北朝鮮が事実上の弾道ミサイルを発射した。このミサイルは射程1万から1万3千キロのICBM(大陸間弾頭ミサイル)であり、アメリカ本土を射程におさめる。すでに北朝鮮は2006年以来、これまで四回の核実験を行っており、金正恩は核弾頭の小型化にも成功したと主張している。よってそれが事実ならば、小型化した弾頭を弾道ミサイルに搭載すれば、アメリカ本土を核攻撃出来ることになる。

これは北朝鮮が、朝鮮有事に際するアメリカの介入を排除する抑止力を手に入れたことを意味し、戦後の米韓同盟にクサビを打ち込むものだ。というのも、朝鮮有事にアメリカが韓国を支援すれば、北朝鮮はアメリカ本土への核攻撃を示唆し、米韓同盟を無能化することが出来るからだ。この可能性が韓国側にもアメリカへの不信感を生じさせ、早くも韓国世論では核武装論が噴出しているという。

しかし同様の問題は、米韓のみならず北朝鮮の脅威を共有している我国とアメリカとの関係についても同様である。

MDは無用の長物だ

北朝鮮からのミサイル攻撃に対して、我が国は同盟国であるアメリカからMD(ミサイル防衛)を導入し配備している。MDは、敵国から発射された弾道ミサイルを、自国の迎撃ミサイルで撃ち落すシステムであり、我が国はアメリカに一兆円以上を払って、イージス艦など海上配備型の迎撃ミサイルであるSM3と地対空誘導弾パトリオットのPAC3を配備している。

しかし、実はこのMD、導入元のアメリカですら、これまでに行った迎撃実験は一度も成功しておらず、カネがかかる割りに実用性が乏しいシステムであることが指摘されている。アメリカは北朝鮮の脅威を喧伝し、自国の軍産複合体を儲けさせるために、法外に高く信頼性の低い兵器を我が国に売りつけているふしがある。

またMDが機能するためには、わが国政府はアメリカの軍事衛星から送られるミサイル発射情報に依存せざるを得ず、仮に北朝鮮がアメリカに対する核恫喝を行った場合は、前述した米韓同盟のように日米同盟も無力化されかねない。

揺らぐアメリカの信用

とはいっても、北朝鮮の核・ミサイル実験はもはや年中行事と化しおり、たしかに脅威ではあるが、所詮は周辺国から外交的な譲歩を引き出し、経済援助を手に入れるための空脅しに過ぎないという見方もあるだろう。

しかし、北朝鮮の後ろ盾となっている中国の脅威ははるかに現実的だ。周知のように、中国は近年における経済成長の鈍化にもかかわらず、軍事費は相変わらずの二桁増を続け、積極的な海洋進出を進めている。こうした軍事的拡張の結果、仮に中国が尖閣諸島に侵攻しわが国と交戦状態に突入した場合、我が国がアメリカから導入したF15戦闘機やオスプレイによって迅速に対応し、尖閣を死守ないしは奪還することが出来たとしても、中国は軍事行動のレベルをエスカレートして我が国に核恫喝を仕掛ける可能性がある。

また日米安保に基づいて日本を援護するアメリカに対しても、在日米軍ないしはアメリカ本土への核攻撃を示唆して中国が核恫喝を行えば、アメリカは対日防衛を躊躇し、我が国民が期待するアメリカの核の傘は機能せず、核戦力を持たない我が国は中国への軍事的屈服を強いられる他ない。それでなくても近年、中東政策に膨大なコストを浪費し、財政的な制約を抱えるアメリカは嫌が応にも孤立主義的な性格を強め、中国の台頭を抑止する意思も能力もない。つまり日米同盟論者が信仰するアメリカによる核の傘は破れる以前に被さってもいないのである。

我が国も核武装を検討していた

こうしてアメリカの核抑止力に対する信頼性が揺らぐ中、我が国が上述した中朝の脅威に対抗し、自主的な核抑止力を保持することで北東アジアにおける力の均衡を維持しようという意見が出てきても不思議ではない。

事実過去にも、1964年に中国が核保有を宣言した際には、時の佐藤栄作内閣が我が国の核武装に向けて動き出し、同じく佐藤政権下の68年から70年までの間に、日本が自力で核武装できるかの調査が行われた。その結果、内閣調査室から提出された報告書によれば、我が国が原爆を少数製造することは当時のレベルでもすでに可能であり、比較的容易であると指摘されている。具体的には、黒鉛減速炉である東海炉(98年運転終了)は兵器級プルトニウム生産に適しており、プルトニウム原爆であれば200から300発製造可能」と記されている。

その後、周知のように、佐藤政権は67年に非核三原則を打ち出し、72年には沖縄返還が実現したが、その裏には有事の際にアメリカが沖縄に核兵器を持ち込むという密約があった。佐藤はアメリカの説得に屈し、アメリカの核に期待して我が国の核武装を断念したのである。

原爆製造は技術的に可能だ

周知の様に原爆には、プルトニウム型とウラン型がある。我が国が広島に落とされたのはウラン型で長崎はプルトニウム型だ。

まず、プルトニウム型に関して、すでに我が国は、原発の使用済み核燃料から回収した余剰プルトニウムを50トン近く保有している。このプルトニウムで原爆を製造するためには、プルトニウム239 の比率を93%以上に高めて兵器級プルトニウムを精製せねばない。そしてその作業は、核燃料サイクルと呼ばれる、高速増殖炉を使った核燃料の再処理によって可能であるとされるが、この核燃料サイクルは、複雑な構造から運用が上手くいかず、福島県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅも実用化の目処が立っていない。

そこで、次にウラン型であるが、これは青森県六ケ所村にあるウラン濃縮施設でにおいて、天然ウランから核分裂を起こしやすいウラン235を抽出することによって製造が可能である。

現行法でも核武装は可能だ

この様に、佐藤内閣時の報告書が答申した様に、我が国の原爆製造は技術的には可能であるが、核燃料サイクルが実現しない限り、資源小国である我が国は天然ウランの輸入に頼らざるを得ない。また、上述した我が国の核再処理施設や核濃縮施設にはIAEAの査察官が常駐しているため、我が国が原爆製造に着手するためには、NPTから脱退せねばならない。しかし、NPTは第10条で「 各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。」と明記されているのであり、前述した最近の情勢変化を受けて、我が国が「自国の至高な利益」を守るためにNPTを脱退することは、国際法で認められた正当な権利である。

また、国内法的にも、現行の原子力基本法には、我が国の核開発について、「確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行う」と記されており、我が国の「安全保障に資する」核開発としての核武装を禁ずるものではない。

さらに、憲法とのかねあいでも、1957年、岸信介首相(当時)は、現行憲法のもとで許される自衛権の行使の範囲内であれば、「自衛のためなら核兵器を持つことは憲法が禁じない」との見解を述べている。これは、我が国の核武装が、憲法が行使を認める個別的自衛権の範疇だということである。

このように、我が国の核武装は、憲法改正を必要とせず、現行法の枠内で実現可能だ。これは日米の一体的運用を前提にしたMDが集団的自衛権の行使にあたり、憲法違反の疑いがあるのに比べて余程政治的なハードルは低い。要は、安倍首相の政治決断次第だということなのである。

米国主導の核秩序から脱却せよ

とはいえ、アメリカは、戦後アイゼンハワーが行った「アトムズ・フォー・ピース」演説以来、核の平和利用と引き換えに核燃料や原子力技術を西側に輸出する政策を堅持しており、我が国がNPTを脱退し、原子力の軍事転用の意思を表明すれば、日本への核燃料の輸出を停止する可能性がある。とくに我が国が天然ウランの過半を輸入しているオーストラリアとカナダは共にアングロサクソン諸国であるから、アメリカに同調する可能性が高い。

したがって、今後我が国がNPT体制のようなアメリカ主導の核秩序から離脱する場合には、ウラン等の供給ルートを多角化することによって重要資源の安定調達を確保する必要がある。その際、新たな供給源になりうるのは、アメリカ主導の核秩序と一線を画するロシアやインドである。ロシアは国内にウラン鉱山を有するのみならず、世界のウラン生産の27%を占めるカザフスタンウラン開発を主導している。またインドはNPTの非加盟国でありながら、我が国と原子力協定を結んでおり、核開発での協力が期待できる。

重要なのは、両国が中国と長大な国境線で接し、安全保障上の脅威を我が国と共有していることだ。ロシアは中国と沿海州の領有やシベリアへの越境移民などの問題をめぐる潜在的な対立を抱え、またインドもアクサイチンやラダックなどで中国との領土紛争を抱え、中共軍による越境侵略が後を絶たない。周知のように、我が国はロシアと北方領土問題を抱え、日露平和条約交渉は中断されたままであるが、両国の和解を妨害しているのはアメリカである。過去にも、ダレスの恫喝で日露交渉は頓挫し、現在もアメリカは安倍首相の訪露に反対しているという。

安倍首相は、アメリカを過剰に怖れ、対米譲歩を繰り返しているが、かつて98年にBJP(インド人民党)政権下で核実験を行ったインドは、いまもアメリカとの友好関係を維持しているし、現首相のナレンドラ・モディー首相も一時は、アメリカから過激なヒンドゥ・ナショナリストとしてビザの発給を停止されていたが、首相に就任した14年には訪米してオバマ大統領と「民生用原子炉協定」について協議している。同様に、我が国の核武装も、アメリカからの自立ではあっても、訣別を意味する訳ではない。既成事実を積み重ね、「日米同盟」を漸次相対化していくプロセスが必要だ。

核武装は経済政策としても有効

我が国が核武装するに際して、その抑止力を最大限に発揮できるのは原子力潜水艦である。原潜は、通常動力の潜水艦より静粛性には劣るが、潜航時間が長く、秘匿性・生残性に優れている。よって、これに核弾頭を装備したSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を搭載すれば、敵からの核攻撃に対する第二撃(報復)能力を確保し、さかのぼって敵に第一撃を思いとどまらせることが出来る。

その際、我が国が保有する原潜はあくまで国産での開発をめざすべきだ。前述したように、現在の自衛隊が装備している、F15戦闘機、イージス艦パトリオットミサイルオスプレイなどの兵器は、アメリカの継続的な技術支援、作戦面での協力がなければ運用不可能であり、それが我が国の自立を妨げる重大な要因になっている。よって我が国政府は、兵器の国産化を推進することによって、軍事産業における技術革新を促し、アメリカへの軍事依存を漸次軽減して行かねばならない。

また原潜を始めとする兵器の国産化は、政府主導の産業政策、ケインズ的な有効需要政策としても有効である。ある試算によると、戦略ミサイル原子力潜水艦を一隻保有するためにかかる経費は、9360億円であり、その開発期間が各5年として4隻保有した場合に要する20年でかかる経費の総額だけでも7.5兆円になるという。よってこれらの事業に対する政府支出がもたらす経済的な波及効果は計り知れず、かねてよりデフレ不況からの脱却を目指す我が国にとって、景気浮揚策としても有効であると思われる。

核武装なき対米自立は幻想に過ぎない

これまで縷々述べたが、つまるところ、国家の防衛政策は「我が国以外は全て仮想敵国」(チャーチル)だという原点から出発せねばならない。中朝の脅威のために「日米同盟」に頼る考えも、また対米自立のためにアジアとの「友愛」に期待する考えも、共に我が国を守ることは出来ない。我が国を守りうるものは、唯一我が国のみである。このことを自覚すれば、我が国が生き残る道は、唯一核武装による国家の自主独立しかないと確信する。

三大政策

皇室中心主義による精神的独立 

我々は天皇を主君に戴く、君民一体、祭政一致の国体を取り戻す。現行の占領憲法は、国民主権政教分離を定めているが、我が国の国体は天皇主権、祭政一致だ。我々は現代の大政奉還、王政復古によって君臣の名分を正し、国体の本義を顕現する。 

 対米自立、自主防衛による軍事的独立

戦後我が国は米ソ冷戦下で対米従属を続けてきたが、冷戦終結以降も国家の自主独立を果たせていない。むしろ現在の安倍自民党政権は、対米従属を一層強化し、一方で軍事的膨張を続ける中国に対しても有効な抑止策を怠っている。我々日本独立党は、日米安保を廃して在日米軍を我が国から完全に撤退させ、自衛隊の国軍化、兵器の自主開発、尖閣諸島を含む国境離島への国軍配備、核武装によって、国家の完全なる軍事的独立を実現する。 

新自由主義に対する国民経済の防衛による経済的独立 

我々日本国民は天皇陛下の前に平等である。陛下は我々国民を大御宝として平等に慈愛し給う。したがって我々国民が享受している権利は、戦後憲法によって与えられたものでも天賦の自然権でもなく、臣下である我々国民に陛下が下された恩賜の民権に他ならない。
戦後我が国は社民主義的な国家政策によって、一億総中流を実現したが、近年のネオリベ的な自由主義改革によって貧富の格差、先天的な不平等が拡大している。そこで我々日本独立党は、新自由主義から国民経済を防衛し、一君万民の国体を護持する。  

日本独立党創立宣言!

いまの日本の政治状況は酷すぎる。

自民党はアメリカの走狗、民進党は、反日売国左翼で真に日本派の政党が存在しない。ひとむかし前は「たちあがれ日本」や太陽の党があったが雲散霧消してしまった。かくなるうえは、自分たちで真正保守の政党を作る他ない。ついては、本日天長節の佳日を以て新党を創立し、その党名を「日本独立党」とする。

我が日本独立党の政策は大きく三つ、第一に皇室中心主義による精神的独立、第二に対米自立、自主防衛による軍事的独立、そして第三に、新自由主義に対する国民経済の防衛による経済的独立である。

この三大政策は、玄洋社の三則、すなわち、第一に「皇室を敬戴すべし」、第二に「本国を愛重すべし」、そして第三に「人民の権利を固守すべし」に倣った。

以下に政策について説明する。

まず第一の皇室中心主義について、我々は天皇を主君に戴く、君民一体、祭政一致の国体を取り戻す。現行の占領憲法は、国民主権政教分離を定めているが、我が国の国体は天皇主権、祭政一致だ。我々は現代の大政奉還王政復古によって君臣の名分を正し、国体の本義を顕現する。 

第二の日米安保の廃止と自主防衛について、戦後我が国は米ソ冷戦下で対米従属を続けてきたが、冷戦終結以降も国家の自主独立を果たせていない。むしろ現在の安倍自民党政権は、対米従属を一層強化し、一方で軍事的膨張を続ける中国に対しても有効な抑止策を怠っている。我々日本独立党は、日米安保を廃して在日米軍を我が国から完全に撤退させ、自衛隊の国軍化、兵器の自主開発、尖閣諸島を含む国境離島への国軍配備、核武装によって、国家の完全なる軍事的独立を実現する。 

第三の新自由主義に対する国民経済の防衛による経済的独立について、我々日本国民は天皇陛下の前に平等である。陛下は我々国民を大御宝として平等に慈愛し給う。したがって我々国民が享受している権利は、戦後憲法によって与えられたものでも天賦の自然権でもなく、臣下である我々国民に陛下が下された恩賜の民権に他ならない。戦後我が国は社民主義的な国家政策によって、一億総中流を実現したが、近年のネオリベ的な自由主義改革によって貧富の格差、先天的な不平等が拡大している。そこで我々日本独立党は、新自由主義から国民経済を防衛し、一君万民の国体を護持する。 

駐韓大使帰任、やっぱりね。

長嶺駐韓大使の帰任は、「やっぱりね」、という感じである。安倍外交は腰砕け、押せば引く、打てば折れる。言うまでもなく、慰安婦像が撤去されるまで、大使を帰任させるべきではないし、次期大統領が日韓合意を破棄するなら国交断絶も止むなしである。しかし、そもそも慰安婦合意自体が間違っている。いわゆる「従軍慰安婦」など存在しないし、我が国は謝罪も賠償も必要ない。この基本線に立ち返るのが先決だ。

https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/politics/amp/170403/plt1704030057-a.html

四宮正貴先生のブログ

四宮正貴先生のブログで、先日内閣府で安倍首相宛に提出した要望書(「今上陛下の御譲位の件に関する要望書」)についてご紹介頂きました。四宮先生は、本要望書の賛同人にもなって頂きました。先生、誠にありがとうございます。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/136543/121949/87136711

安倍首相宛に「今上陛下の御譲位に関する要望書」を提出

昨日、平成二十九年三月二十八日、内閣府に赴き、内閣総理大臣安倍晋三殿宛に「今上陛下の御譲位の件に関する要望書」を提出致しました。以下に要望書の全文を掲載します。


「今上陛下の御譲位の件に関する要望書」

    昨今における今上陛下の御譲位の問題に関して、安倍内閣は一代限りでの譲位を認める特例法を制定する方針を固めた。しかしこの政府方針は、二つの重大な問題を内包している。
 第一に、陛下は御譲位について一代限りではなく、恒久的な制度化を思召されているということだ。陛下による昨年八月八日の「おことば」を素直に拝聴すれば、それが将来の天皇を含む「象徴天皇」一般の在り方について述べられたものであることは明らかである。第二に、譲位を一代限りで認める特例法は、現行憲法第二条で、皇位は「国会の議決した皇室典範の定めるところによる」とし、さらにその皇室典範の第四条で、皇嗣の即位は「天皇崩御」によるとする規定に違反する。
 本来、我が国の皇位は「天壌無窮の神勅」に基づき、現行憲法が規定するような「主権者たる国民の総意」に基づくものではない。したがって、皇室典範憲法や国会に従属するものではなく、皇位継承の決定権も、一人上御一人に存する筈である。しかしながら、その上御一人であらせられる陛下が、現行憲法の遵守を思し召されている以上は、この度の御譲位も憲法の規定に従う他なく、それに違反する政府方針は御叡慮を蔑ろにするものといわざるを得ない。
 もっとも政府は、衆参両院における与野党協議の結果、皇室典範に附則を置き、そこで特例法と典範は一体であることを明記することで憲法違反の疑義を払拭し、典範改正による譲位の恒久的制度化を主張する野党との政治的妥協を図ったが、肝心なのは、与野党間の政治的合意よりも、御譲位における最終的な当事者であらせられる陛下が、その特例法案を御嘉納あらせられるかという事である。
    安倍首相以下、我々国民の義務は承詔必謹、ただ陛下の御主意に沿い奉り、御宸襟を安んじ奉ることにのみ存するのであって、一度発せられた陛下のお言葉を歪曲する様な行為は絶対に慎まねばならない。特に、この度における御譲位の思し召しは、陛下が将来の天皇のあるべき姿について、長年、熟慮に熟慮を重ねられた上で、御聖断遊ばされたことであり、首相以下我々国民の側にいかに合理的な理由があるといえども、臣下の分際で反対する資格はない。
 ところが、先の「おことば」以来、この度の御譲位の問題に対する安倍内閣の態度は、陛下の御主意に沿い奉る誠意に欠け、はなから特例法ありきでの対応に終始したことは御叡慮を蔑ろにするものと言わざるを得ない。甚だしきは、首相が人選した「有識者会議」の出席者の中から公然と譲位に反対する意見まで噴出したことは極めて遺憾である。異論があるなら、前もって陛下に諫奏申し上げるのが筋であり、後から反対するのは不敬千万、皇威を失墜させ後世に禍根を残す所業である。「有識者会議」は首相の私的諮問機関といえども、安倍首相の政治責任は免れない。                            

    特に、陛下が最初に御譲位の思召しを漏らされたのは平成二十二年に遡るとされ、当然その御内意は歴代の内閣にも伝達されたにも関わらず、政府は聖明を蔽い隠して来た。その責任を棚に上げて、「おことば」という、非常の措置で下された御聖断に盾突くなど言語道断である。
    なお、「有識者会議」での議論を踏まえた「論点整理」では、譲位が将来の全ての天皇を対象とする場合の課題として、「恒久的な退位制度が必要とする退位の一般的・抽象的な要件が、時の権力による恣意的な判断を正当化する根拠に使われる」ことが挙げられているが、「時の権力による恣意的な判断」は、譲位が今上陛下のみを対象とする場合に、「後代に通じる退位の基準や要件を明示しない」ことによっても引き起こされうるのである。
 このように、譲位を一代限りとするか、恒久的制度とするかという当面の問題は、賛否両論に一長一短あり、結論を一決しがたいのであり、だからこそ我々首相以下の国民は、こうした国論を二分しかねない問題については、最終的当事者であらせられる陛下の御聖断を仰ぐほかないのである。したがって、政府は、この度の御譲位に関する特例法案が与野党の政治的妥結を得たとしても、同法案を国会に提出する前に闕下に上奏し、御裁可を仰ぐべきである。
    かつて孝明天皇は、御叡慮に反して通商条約に調印した徳川幕府に御震怒遊ばされ、諸藩に下された密勅の中で、幕府による「違勅不信」の罪を咎められた。これにより朝幕間の齟齬軋轢が天下に露呈したことで、幕府権力の正当性は失墜し、尊皇倒幕の気運が激成して、幕府崩壊の端を開いたのである。このように、我が国における政府権力の正当性は、天皇陛下の御信任に基づくのであって、それは「国民主権原則」や「象徴天皇制」に基づく現行の政府権力においてすら例外ではないということを安倍首相はゆめゆめ忘れてはならない。
 
以上の趣意により、安倍首相及び政府は、君臣の分を弁え、これまでの御叡慮を蔑ろにした態度を猛省すると共に、一切の予断を排して承詔必謹し、以て一刻も早く御宸襟を安んじ奉るべきである。右強く要望する。

                  平成二十九年三月二十八日

内閣総理大臣安倍晋三殿

安倍首相に承詔必謹を求める有志一同
                  (代表)

折本龍則
                  坪内隆彦
                  三浦颯
                 (賛同者)

西村眞悟
                  四宮正貴
                  小野耕資
                  三浦夏南
                  柳毅一郎

 

アメリカの極東政策

「ディバイド・アンド・ルール(分割して支配する)」は、アメリカによる極東政策の基本。アメリカは日中間、日朝間の対立から利益を得ているのであり、彼ら(アメリカ)が一番恐れるのは、東アジア諸国が連衡(れんこう)してアメリカに対抗するシナリオである。我が国がアメリカに守られているという幻想から国民が目を覚まさない限り、我が国の真の独立はない。