維新政党日本

我が国日本の真正なる独立を目指します。

剥き出しの資本主義から文化的生活を守れ

   もはや我が国は、戦後の経済成長至上主義の限界に直面している。本来ならば、その転換期は、東西冷戦の終結、そしてバブル崩壊によって訪れる筈であったが、我が国の政策当事者は、成長主義や利益至上主義への反省よりも、経済停滞の原因を我が国特有の社会経済システムそれ自体の非競争的な「構造」に求め、新自由主義構造改革論に傾斜することによって、資本主義の制度的抑制ではなく、むしろ剥き出しの資本主義であるところの市場原理主義に突き進んでいった。そのなりの果てが、もはや事実上の移民大国と化した今日の日本である。資本主義を延命する為に消費需要を外国人頼みにし、生産においても、もはや技能実習生や留学生無しには成り立たなくなってしまった。

   今日における経済のデフレ収縮は、景気循環の問題ではなくて、根本的に消費社会や近代資本主義そのものの限界による生産と消費の行き詰まりを意味しているのであって、これを第4次産業革命だの空虚なスローガンで糊塗し、外国人やAIで弥縫した所で何の解決にもならない。まるでガンの進行を放射線治療で遅らせているだけだ。いま我々がしなければならないのは、戦後の成長至上主義の延命弥縫ではなくて、成長至上主義そのものからの脱却であり、資本主義への制度的統制による文化的生活の防衛である。人は朝起きて夜寝る。この最低限の生活すらままならない社会を変えなければならない。贅沢は申すまい。ただせめて紀元節天長節くらいは全ての労働者が働くのを止めて、皇室の弥栄を祈願しようではないか。我々日本国民は天皇の民として、国体を謳歌し、文化的生活を営む権利があるのだから。

【意見】安倍首相は速やかに種子法を復活し、規制改革会議を廃止せよ!

   今年(平成三十年)四月、安倍内閣によって種子法(主要農作物種子法)が廃止された。この種子法は、米麦大豆などの主要農作物の種子の生産と普及を国と県が主体になって行うことを義務付けた法律である。この法律のもとで、これまで国が地方交付税等の予算措置を講じ、県が原種と原原種の生産に必要なほ場を厳格に管理し、優良品種を奨励品種として指定し普及させることなどによって、良質な農作物の安価で安定的な供給に寄与してきた。

 しかし、安倍首相は、この種子法が、民間企業の公正な競争を妨げているとの理由で、突如廃止を言い出し、国会での十分な審議も経ぬまま、昨年三月可決成立させてしまった。

 今後種子法廃止によって、外資を含む種子企業の参入が加速し、種子価格の高騰、品質の低下、遺伝子組み換え種子の流入による安全性への不安、長年我が国が税金による研究開発で蓄積してきた種子技術の海外流出、県を主体にすることで維持されてきた種子の多様性や生態系への影響など、数多くの弊害が危惧されている。

 こうした懸念を受けて、「種子法廃止法案」では、付帯決議として「種苗法に基づき、主要農作物の種子の生産等について適切な基準を定め、運用する」「主要農作物種子法の廃止に伴って都道府県の取組が後退することのないよう、・・・引き続き地方交付税措置を確保し、」「主要農作物種子が国外に流出することなく適正な価格で国内で生産されるよう努める」「消費者の多様な嗜好性、生産地の生産環境に対応した多様な種子の生産を確保すること。・・・特定の事業者による種子の独占によって弊害が生じることがないように努める」ことなどが記されているが、どれも努力義務で法的強制力はないばかりか、早くも政府は、この付帯決議の主旨に逆行する政策を推し進めている。

 特に、政府が種子法廃止の翌月に成立させた、「農業競争力支援法」には、「種子その他の種苗について、民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産及び供給を促進するとともに、独立行政法人の試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進する」とあり、我が国が長年、税金による研究開発で蓄積してきた「種苗の生産に関する知見」を民間企業に提供することが記されている上に、この「民間事業者」には国籍要件がないため、海外のグローバル種子企業に種子技術が流出し、生物特許による種の支配を通じて我が国の農業がコントロールされかねない。なかでも、世界最大のグローバル種子企業であるモンサントが販売する遺伝子組み換え(GM)種子は、発がん性など、安全性が疑問視されており、国民の健康に及ぼす被害は計り知れない。

 上述の通り、安倍首相は、種子法が民間企業の公正な競争を妨げているとの理由で廃止したが、すでに政府は、2007年に行われた規制改革会議・地域活性化ワーキング・グループの民間議員から、同様の指摘がなされたのに対して、「本制度が(民間による)新品種の種子開発の阻害要因になっているとは考えていない。」と答弁している。ところがその後、認識を変えたのは、規制改革推進会議の強い政治的圧力が負荷されたためである。すなわち、16年9月に行われた規制改革推進会議の農業ワーキング・グループで「民間企業も優れた品種を開発してきており、国や都道府県と民間企業が平等に競争できる環境を整備する必要がある」という提言がなされ、さらに翌10月には、「関連産業の合理化を進め、資材価格の引き下げと国際競争力の強化を図るため」、「戦略物資である種子・種苗については、国は国家戦略・知財戦略として、民間活力を最大限に活用した開発・供給体制を構築する。そうした体制整備に資するため、地方公共団体中心のシステムで、民間の品種開発意欲を阻害している主要農作物種子法は廃止する」として突如廃止の決定がなされたのである。

 問題なのは、この種子法廃止を決定した規制改革会議は、単なる首相の一諮問機関に過ぎないにも関わらず、公共政策の決定に関して不当に強大な影響力を及ぼしている事である。特に同会議を構成するメンバーは、一部の大企業やグローバル資本の利益を代弁した民間議員であり、農業問題に関しては「素人」を自称しており、食糧安保や国土保全といった農業の持つ多面的機能への視点が欠落している。従来、農業問題に関しては、農水省が設置し、農業問題の専門家からなる「農政審議会」が審議したが、安倍内閣が創始した内閣人事局制度のもとで、各省が官邸に従属しているとも言われている。

 さらに問題なのは、この規制改革会議による種子法廃止は、農協の解体を始めとする、安倍内閣による一連の新自由主義的な農業改革の一環であり、その背景には、アメリカ政府やグローバル企業による外圧の存在があることである。我が国における農業分野での規制改革は、アメリカがクリントン政権以降の「年次改革要望書」のなかで繰り返し要求して来たが、2012年に第二次安倍内閣が発足すると、この動きは加速した。14年1月に安倍首相がスイスのダボス会議で規制改革を国際公約した同年五月、在日米国商工会議所(ACCJ)は「JAグループは、日本の農業を強化し、かつ日本の経済成長に資する形で組織改革を行うべき」との意見書を提出すると、それに歩調を合わせたかのように政府は「規制改革実施計画」を閣議決定して農協改革を強行した。ACCJはアメリカ政府と企業の代弁機関であり、彼らの狙いは、農業での規制緩和による米国企業の商機拡大と、農協が有する360兆円もの金融資産の収奪に他ならない。このような米国政府やACCJによる外圧は、我が国に対する内政干渉であり主権侵害である。

 前述したように、安倍首相は、種子法の存在が、民間企業による公正な競争を妨げ、我が国農業の国際競争力を損なっているとしたが、現状の政府による農家への過少保護政策(例えば、農業所得に占める政府の直接支払割合(財政負担)は、我が国が15・6%に過ぎないのに対して、アメリカは26・4%で、特に小麦は62・4%、コメは58・2%にも上る。さらにフランスは90・2%イギリスは95・2%、スイスは94・5%にも及び、欧米に比して極端に低い)を差し置いてそのような主張をするのは全くの筋違いである。

 古来、我が国は、「葦原の瑞穂の国」と称され、農業を立国の根幹に据えてきた。そのことは、天照大神天孫瓊瓊杵尊の降臨に際して、皇位の御徴である三種の神器と共に、「斎庭の稲穂」を授けられ、いまも今上陛下は、毎年の新嘗祭において、新米を天照大神に捧げられ、五穀豊穣を感謝されていることにも象徴的に示されている。特に安倍首相は、2012年の政権奪還時に、「ウォール街の強欲資本主義」に対して「瑞穂の国の資本主義」を掲げながら、いまでは新自由主義的な農業改革を推進し、その一環である種子法廃止は、「瑞穂の国」を破壊する売国的所業である。よって安倍首相はいまこそ、自らの政策的過ちを認めて種子法を復活し、優良で安価な農作物の安定供給を確保すると共に、アメリカやグローバル企業の利益を代弁した規制改革会議は即刻廃止すべきである。

種子法廃止緊急セミナー@浦安が開催される

平成三十年三月三十一日、浦安市内で「種子法廃止緊急セミナー」が開催された。講師の坪内隆彦氏(月刊日本編集長)が、安倍政権が行った種子法廃止の問題点について講演を行った。講演の要旨は以下の通り。

本日三月三十一日を以て「種子法」の効力が消える。「お種子法」とは、各都道府県が米をはじめとした作物のタネについて、責任を以て開発、維持管理するというものだ。この法律が廃止されたことにより、都道府県が予算、人員等を割く法的根拠が消失した。これは安倍政権のグローバル企業優遇、大企業優遇の農業政策の氷山の一角であり、漁業なども併せてグローバル企業優遇、大企業優遇が規制改革、成長戦略の名を以て行われている。

都道府県が米をはじめとした作物のタネについて、責任を以て開発、維持管理することに対して、農水省は十年前、民間の参入を妨げる者ではないという見解を出していた。ところが今回はそれを翻し、規制廃止に同調した形となる。現在、三百種米の品種のタネが保存管理されているが、今後は民間企業の効率化、市場の論理により品種が少なくなることが想定される。そうなると気候変動や害虫の増加などの異常事態に対応できなくなる。

また、種子法廃止後実際にタネの育成を民間が担うわけだが、「民間」とは実質的に世界最大の種子企業モンサントである(わが国では住友化学モンサントのパートナーとなっている)。モンサントベトナム戦争の際に枯葉剤を開発したことでも知られる「世界最悪の企業」「モンサタン」とも呼ばれる企業である。種子法廃止の背景には、同社が進める遺伝子組み換え食品事業、ゲノム編集事業を推進する魂胆が伺える。遺伝子組み換えやゲノム編集は本当に安全なのか、まだ科学的結論が出ていない。また、そもそも同社が遺伝子組み換えを進める動機の一つに、同社が開発する強力な除草剤をセット販売することがあり、そうした(発がん性を持つ)除草剤の残留による影響などを考えても大いに「食の安全」に悪影響を及ぼすと考えられる。

安倍政権は内閣人事局で官僚幹部人事に官邸の意向を介入させ、自らの政策に都合の悪い官僚を左遷させ、グローバル資本に便宜を図り続けてきた。現在の農水次官は「農水省はいらない(経産省の一部でよい)」と放言する人物である。国際的な流れとしては、協同組合や家族農業の再評価が進んでいたり、欧州を中心として有機農業へのシフトが進んでいる中、わが国の政策はこうした国際的な流れにも反している。農業は単純に植物を栽培することによる産業というだけでなく、文化や景観の維持、治水など様々な機能を持っている。こうした働きを忘れてはならない。

正直に言って情勢はかなり厳しい段階にあるが、今後反転攻勢に出る手段として、食糧安全保障法を作る、種子条例を各都道府県で作る、種子法廃止違憲訴訟、住民の反対運動などが行われており、そうした動きを進めていく必要がある。その後、質疑応答が行われ、活発な議論、意見交換が行われた。

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政府自民党の「加憲」論に反対する理由

目下、政府自民党が推し進める「加憲」論に対し、以下の三つの理由で反対する。

第一に、首相は、自衛隊の存在を明記しない現行憲法が、自衛隊の存在と活動を不安定にしているというが、国民の九割は自衛隊の存在と活動を支持している。朝日新聞の調査では、六割の憲法学者自衛隊違憲ないしはその疑いがあると答えたそうであるが、最高裁統治行為論で、自衛隊の合憲性に対する憲法判断は下さないのであるから、憲法学者の意見など所詮どうでもよい。このように、「主権者」たる国民の圧倒的大多数による確固たる支持基盤が存し、最高裁憲法判断を下さない以上、自衛隊の存在は既成事実として確立されており、いまさらその存在を憲法に明記する実益などない。

第二に、仮に「加憲」によって自衛隊の存在を明記したとしても、憲法を純粋に解釈すれば違憲性の疑いは依然払拭されない。というのも、九条二項は、我が国の戦力の不保持、交戦権の否定を規定しているのであるから、「加憲」によって自衛隊の存在自体は認められたとしても、今度は「自衛隊の有する「実力」は、憲法の禁止する「戦力」に該当するから違憲だ」という意見が容易に想定されるからである。結局違憲論争は止まないのである。

第三に、自衛隊員には気の毒であるが、首相の指揮下にある現在の自衛隊は、どこまでいっても「警察予備隊」の延長に過ぎず、畏くも天皇陛下を大元帥に戴く「皇軍」ではない。つまり自衛隊には建軍の大義がないのである。そのような組織の存在を憲法に明記したところで、何等問題の本質的解決にはならない。段階論にもならない。

以上の理由により、政府自民党による「加憲」論に反対する。

「日韓よ、独立国たれ!」、それが金玉均の叫びだ


朝鮮独立の志士、金玉均

本日3月28日は、李氏朝鮮末期における朝鮮開化派・独立党の指導者である金玉均(1851~94)の命日である。金玉均は、忠清道両班(貴族)出身で科挙に合格し、朴泳孝等と日本を訪れて福沢諭吉興亜会副島種臣等の影響を受けた。その結果、日本を模範にした朝鮮の維新改革を志し、旧態依然たる鎖国主義に凝り固まり、宗主国たる清国への隷従を続ける閔妃(国王高宗の后)等の守旧派・事大党を排除すべく、1884年12月、大院君(高宗の父)を後ろ盾としたクーデターを敢行したが、ソウルに駐屯する清国軍(司令官は袁世凱)の介入によって挫折し、日本に亡命した。後に「甲申事変」と呼ばれるこの事件の背景には、同年4月における清仏戦争の勃発や、朝鮮に対する清国の宗主権を排除しようとしていた日本政府が、金等独立党への支援を約束していたこと等があるが、事変に際してソウル駐屯の我が軍は、金への支援を徹底し得ず、当時の竹添公使は、金や朴等を伴って日本に逃げ帰った。

かくして日本に亡命した金玉均は、清国との外交関係悪化を恐れる我が国政府にとって迷惑な存在でしかなく、彼は身を隠すべくして札幌や小笠原などの辺地を転々としたが、その間、こうした苦難の亡命生活を献身的に支援したのが、犬養毅や、頭山満や来島恒喜等の玄洋社員であった。なかでも、後に大隈重信を襲撃する来島恒喜は、小笠原まで行って金と一緒に田畑を耕し、寝食を共にしたという。金は日本で雌伏して捲土重来を期し、時局打開の好機到来を待ったが、そうした機会は一向に現れず、空しく歳月を経ること十年に及んだ。そんななか、李鴻章の子である李経方から、金と鴻章の会談の誘いが来た。頭山等の同志は、それは金を暗殺するための罠に違いないと猛反対したが、金は周囲の反対をおして出発し、渡航先の上海で、閔妃の刺客である洪鐘宇によって射殺された。金の死後、その遺体は清国の軍艦で朝鮮に運ばれ、無惨に切り刻まれた上で、胴体は川に捨てられ、首や手足は晒し物にされた。しかし遺髪や衣服の一部は、日本人の手で日本に持ち帰られ、宮崎滔天等によって葬儀が営まれ、東京真浄寺に埋葬された。また頭山や犬養の手によって、東京青山霊園外国人墓地に墓碑が建立され、今日に至っている。

「三和」の思想

以上が、大凡の事績である。金は日韓清が独立した対等な立場で提携し、アジアに侵略の触手を伸ばす西欧列強の脅威に対抗する「三和」の思想を抱懐していたとされる。これは、樽井藤吉の『大東合邦論』の影響とする意見もあるが、福沢諭吉の門下で、ソウル発の新聞である『漢城旬報』の創始者で、金玉均とも親交のあった井上角五郎の回想によると、福沢の影響であるという。金玉均は福沢から聞いたこの「三和」の所信を「興亜策」として国王高宗に奏上し、さらには自らの号ともした。井上の回想によると、金が最後、周囲の反対をおして上海に渡ったのは、李鴻章にこの「三和」の信念を説くためであったという。「金玉均君が上海に行きますことに付ては、今日までも書いた物が色々残っておりますが、何故金玉均が上海に行くことを決心したのか誰にも金君は話さない。私共にも極く秘密にして話しませんでした。所が或る晩おそく私の所に参りまして「今日は死別れに参りました、井上さん、死別れといふのはそういふことか、事情は福沢先生に詳しく申し上げましたが、実は三和の主義を以て李鴻章を説かうと思う、私が支那に行って李鴻章に面会が出来れば―或は面会する前に殺されるかも知れない、或は其の前に死ぬるかも知れない、或は又面会中に殺されるかも知れない、勿論面会後には生きては居ないだらうと思って居りますが、兎に角日本、支那、朝鮮の三国が共同一致して西洋の勢を防ぐのが目下の急務で、東洋平和の原因は茲にあるのだといふことを李鴻章に向かって説こうと思ふ」と」(井上氏『金玉均君に就て』中央朝鮮協会)。彼は日本亡命中に「岩田周作」という名を用いていたが、暗殺された上海の宿帳には「岩田三和」の名が記されていたという。

「日韓よ独立国たれ!」

甲申事変における朝鮮維新改革の失敗、そして金玉均の暗殺によって、朝鮮は独立の好機を逸し、それ以降、亡国の坂を転げ落ちて行った。朝鮮を滅ぼした最大の要因は、事大主義であり、「以夷制夷」(夷を以て夷を制する)を専らとする属国特有の因循姑息な外交である。特に朝鮮の場合、時局の逼迫をよそに、宗族や本貫を中心とした内紛抗争に明け暮れ、それぞれの党派が外勢を味方につけて内政に引き入れた結果、内憂外患交々至ると云った惨状を現出し、その時々によって、ある時はシナにより、或る時は日本により、またある時はロシアによると云ったように、一見すると大国を手玉にとって自己の延命を図るように見えながら、結局は大国の分有支配するところとなった。これに対して、我が国は忝くも世界無比の天皇陛下を戴き、明治維新によって一君万民の国体を顕現し得たことによって、国民が一丸となって外勢を斥け、国家の自主独立を全うし得た。しかるに、戦後は、その類稀なる国体を閉却し、国民は自主独立の気概を喪失し、内政ではアメリカに付くか、シナに付くかの内紛抗争に明け暮れている。その意味で、いまの我が国は、まるで李朝末期の朝鮮のようだ。

いまも昔も、朝鮮半島における我が国の戦略的な利益は、独立した朝鮮の存在である。というのも、地政学的に朝鮮半島は我が国にとって、柔らかい脇腹に突き付けられた刀であり、朝鮮が大陸の覇権国に支配されれば、その次の標的は間違いなく我が国になるからである。したがって、我が国は、朝鮮を独立国として維持し、そうした大陸覇権国との緩衝国ないしは防波堤にすることが、一貫した国防上の利益であり、それは明治政府においても然りであった。すなわち、我が国は朝鮮の独立を守るために金玉均等独立党を支援したのであり、時代遅れの中華思想によって朝鮮を属国扱いする清国と戦火を交えたのであった。また我が国は、朝鮮の独立を守るために、南下政策によって朝鮮に食指を伸ばすロシアと戦ったのであって、決して領土的な野心によって侵略したのではない。とはいえ、我が国が、朝鮮との対等な関係を模索しながらも、独立心なき朝鮮を相手に、武断併合の止むなきに至ったことは日韓両国の悲劇であった。しかしもっと悲劇なのは、それから百有余年後の日韓両国が共に、独立心なき事大主義の国家として、宗主国アメリカへの臣従を事とし、今度は新たな覇権国となったシナの侵略に脅かされていることである。泉下の金玉均が現在の日韓両国に発するメッセージは、「日韓よ、独立国たれ!」という血の叫びである。

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種子法廃止に沈黙する連中は保守でも何でもない

我が国のメディアは、種子法廃止についてほとんど報道していない。森友問題など大概にしてこちらの問題を取り上げるべきだ。たしかに森友は問題であるが、我が国が抱える他の本質的な問題に比べたら大した問題ではない。その本質問題の最たるものが、安倍内閣による種子法廃止である。というのも、種子は、農業の根幹であり、農業は国家独立の根幹であるのだから、種子法の廃止は、我が国農業の根幹を脅かし、ひいては我が国の存立をも左右しかねない重大な危険をはらんでいるからである。それはただ単に、グローバル種子会社、モンサントによる遺伝子組み換え種子の流入を通じて、我が国の食料安全保障を脅かすのみならず、「瑞穂の国」たる我が国の国体を危うからしめるものである。

天照大御神天孫瓊瓊杵尊の降臨に際して授けられた三代神勅の一つに、「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」というのがある。すなわち、「我が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以ちて、また、まさに我が御子に御(しら)せまつるべし。」というものであり、高天原にある稲穂を授けて、これで葦原中つ国たる我が国を栄えさせよと命じ給うたものであるが、いまも今上陛下はこの神勅を守り給い、毎年の新嘗祭では、皇居の神田で獲れた新米を天照大神に捧げられている。つまりそれほどに、我が国の国体にとって稲作は密接不可分であり、そのために稲穂の固有性を守ることは国家の重大責務ということだ。まさか、新嘗祭天照大神モンサントの新米を奉納するわけにはいくまい。そんなことをすれば五穀豊穣どころか神罰が下ろう。

不可解千万なのは、日ごろ国体護持を主張する保守派の諸君が、この我が国体を破壊する種子法廃止を拱手傍観し、不気味な沈黙を保っていることだ。その結果、種子法廃止反対の運動は、左翼の専売特許にされ、どっちが保守なのかわからない倒錯した状況を現出している。しかし、本来、保守派こそ種子法廃止に真っ向から反対すべきなのだ。保守の名の下に、「斎庭の稲穂」をグローバル資本に売り渡す売国勢力に対して、いまこそ真の保守の側から反旗を翻さねばならない。

いまの日本に必要なのは、安倍首相を叱る真の保守だ

森友問題の再燃で安倍政権が危機的な局面を迎えているが、あらゆる安倍批判をすべて左翼の陰謀と思い込んで排撃し、安倍内閣の延命自体を目的化した妄信的安倍信者にも、公文書改ざんの発覚で鬼の首を取ったように狂喜乱舞し、倒閣自体を目的化した腐れリベラルのどちらにも与すべきでない。たしかにいまの政局で安倍首相以外に誰がいるかと言われれば、「日本独立党」と言う以外に適当な答えが見当たらない。しかし現実問題そんなことを言っても戯言にしかならない。残念ながら、安倍首相の「保守」は「エセ保守」であるが、自民党の他の総裁候補は「保守」の看板すら掲げていない、論外だ。立憲民主党は、新自由主義反対など、部分的には賛成できる点もあるが、そもそも尊皇心の欠片もない連中であるから、共産党と同じく国家の敵、論外である。つまり誰もいない。ということは安倍首相しかいないということを残念ながら認めざるを得ないのである。しかしそれは、安倍首相を甘やかしてもいいという理由にはならないのであって、安倍首相しかいないからこそ、しっかりしてもらわねばならない、ということなのである。

 

明治の時代、頭山満という凄い人間がいた。頭山は無位無官、在野の浪人の立場でありながら、日露開戦を躊躇する伊藤博文の家に上がり込んで、不意に「伊藤さん、日本で一番偉い人はだれですか」と問を発し、困惑する伊藤に対して、「それは畏くも天皇陛下におわしますでしょう。」と言い、「ではその次に偉い人間は誰か、それはあなたでしょう。そのあなたが、この際しっかりして下さらんと困りまずぞ!」といって凄みをきかせたので、伊藤は度肝を抜かれて返す言葉もなかったという。頭山が率いた玄洋社からは、屈辱的な条約改正案を阻止するため、外務卿大隈重信に爆弾を投げて自決した来島恒喜など、皇国のために身を殉じた多くの志士が輩出した。いまの日本に必要なのは、頭山であり、来島であり、玄洋社の様な、政府を叱る真の保守だ。