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シリーズ『元気が出る尊皇百話』その(一)和気清麻呂

   和気清麻呂(わけのきよまろ)は、称徳天皇(718〜770)の時代、吉備(現在の岡山)の人です。清麻呂はその性硬直で世人の重んずるところとなっておりましたから、称徳天皇は特に清麻呂を召して大事をお頼みになったのであります。それは如何なる用向きであったかといえば、その当時、僧の道鏡という者があって宮中に出入りして天皇の寵愛を被りましたが、重く用いられて法王になりました時、ある者が道鏡に媚びて、天皇に、宇佐八幡の託宣に「道鏡皇位に就かしめたなら天下太平になるなるであろう」とのお示しがあったと奏上しました。そこで、天皇は大いに惑い給いて、正直なる清麻呂をして八幡に御旨を伺わしめましたところ、八幡の告げるには「我が国家は開闢以来君臣の分定まり、臣を以て君とすることは未だないのである。天日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇胤を立て、無道の者があれば速やかにこれを除かねばならない」というものでした。その時、道鏡清麻呂に、もし我の思いのままにすればお前を太政大臣にもしてやるが、これに反すれば重い罪科を課すぞと恫喝しました。しかし清麻呂はこの恫喝に屈せず、託宣のままを天皇に奏上したので、道鏡はこれに怒り、清麻呂の姓名を別部穢麻呂と改めて大隅(鹿児島)に流しましたが、ついに天皇皇位道鏡にはお譲りになりませんでした。

   まもなく称徳天皇がお隠れになり、光仁天皇が即位されると、不臣の道鏡はかえって下総に流され、清麻呂は召し還され、その功を賞して和気朝臣(わけあそん)の姓を賜り、さらに桓武天皇延暦年中には、山城の地を奏上してそこに都が遷されました。これが即ちかつての平安京、いまの京都の地であります。