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シリーズ『元気が出る尊皇百話』その(二十七)豊臣秀吉

豊臣秀吉尾張国の人で、天文五(一五三七)年に農家の子として生を享けました。この一農家の子が風雲に乗じて一世の権栄を極めたというのは、全くその天稟の才知と幸運とによったものであります。今、その伝記はこれを略しまして、少しく勤皇事情を述べれば、彼は天正十五年島津氏を九州に討ちて降伏せしめ、京師に凱旋するや、正親町天皇には特に使いを遣わして慰労し給いました。翌年正月秀吉はその恩を謝し、聚楽第に臨御あらんことを奏請しました。その時正親町天皇は位を譲り給い上皇となられておりましたが、後陽成天皇と共にこれを嘉納し給い、四月十四日聚楽第行幸し給いました。そこで秀吉は文武百官を率いて扈従しまいらせ、特に盛服して御座の右に侍り、尽く天下の大名を召して御前に列せしめ、皆に誓わせて曰く、

1、 皇恩を奉戴して力を皇事に尽し、敢えて怠ることなけん...
2、 皇家の邑は敢えて侵すことなけん
3、 関白の令する所は事大小となく敢えて奉ぜざることなけん

このように一々誓いを立てしめて後、秀吉は諸侯を饗応したのでありました。その時に秀吉は聚楽第行幸の御礼として帝室の御料を定め奉りました。
また天正十六年には内大臣平(織田)信雄以下諸侯をして勤皇を誓わしめました。そこで後陽成天皇は「松に寄する祝」という題にて和歌を詠し、これを秀吉に賜いました。

わきてけふ 待つかひあれや 松か枝の
世々契りを かけて見せつつ

ところが御駐輦(ごちゅうれん)三日目に雨が降り出しましたから、秀吉は特に意を用いて饗応し奉り、歌を詠して奉りました。

てらまでも 君が行幸を かけて思ひ
あめふりすさぶ にはの面かな

天皇これに御返しを賜わりました。

かきくらし 降りぬる雨も 心あれや
晴れて連なる くもの上びと

既にして車駕、将に宮に還り給わんとするや、秀吉歌を奉りて、臨幸を謝し奉りました。

御ゆき猶ほ 思ひしことの あまりあれば
かへるさ惜しき 雲のうへ人

天皇これにも御返しを賜わりました。

あかざりし 心をとむる 宿りゆゑ
猶かへるさの おしまるるかな

大いに御意に叶ったことを推測に難くないでしょう。また同時に正親町上皇も和歌を秀吉に賜いました。

よろづ代に また八百萬 かさねても
猶かぎりなき 時はこのとき

この御製の畏さに秀吉は感泣し、御返しを奉りました。

言の葉の 濱のまさごは 盡るとも
限りあらじな 君がよはひは

こうして駐輦五日にして将に宮に還られんとせられましたから、秀吉は和歌を奉って臨幸を謝し奉ったのであります。

時を得し 玉の光の あらはれて
みゆきぞ今日の もろびとのそで

上皇はこれに御返して賜わりました。

うづもれし 道もただしき 折にあひて
玉の光の 世にくもりなき

時に後陽成天皇もまた御返して賜わりました。

玉を猶 みがくにつけて 世にひろく
あふぐ光を うつすことの葉

このように秀吉は一意皇室の御為に力を尽くして、諸事を復興し奉ったのであります。その精忠想うべきであります。(写真は聚楽第に向かう後陽成天皇の鳳輦)

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