維新政党日本

我が国日本の真正なる独立を目指します。

「売国保守」から「真正保守」へ

売国保守」安倍首相の罪状

第二次安倍内閣発足から五年
第二次安倍内閣の発足から五年が経った(平成三十年二月時点)。そこで、いまだに安倍首相を支持している善良なる保守派の方にお聞きしたい。結局、安倍首相は、我が国の為に何をしたのか。周知の様に、安倍首相は、かねてから保守政治家を自任し、自民党民主党から政権を奪還した2012年の総選挙では「日本を取り戻す」というスローガンを掲げて首相の座に返り咲いた。しかしながら、以来、彼がこれまで「保守」の名の下にやってきたことは、首相になるまで標榜してきた保守的な信条に明らかに反するばかりか、むしろ、あの悪夢の民主党政権にすら勝るとも劣らない位「売国的」であると言わざるを得ない。
例えば、韓国との間での、いわゆる「慰安婦合意」についても、安倍首相は従来、戦前の我が軍によって売春を強要された「従軍慰安婦」など存在しないと断言し、保守派の喝采を浴びてきた。しかし、実際に政権に就いてやったことは、「従軍慰安婦」の存在を認め、韓国に対する謝罪と事実上の追加賠償である10億円の支払いを敢えてするという、かつての安倍首相が口を極めて批判した「河野・村山談話」を上塗りし、かの売国的な民主党政権でも成し得なかった暴挙であった。この「慰安婦合意」にもかかわらず、韓国側は釜山日本領事館前の慰安婦像を撤去しないどころか、今度は朝鮮人徴用工の問題を持ち出して、新たな謝罪と賠償を要求し、17年5月の文在寅政権成立以降は、「最終的かつ不可逆的」とされた「慰安婦合意」を否定して歴史問題を蒸し返している。
たしかに韓国はけしからん。しかし、こうなる事など、始めから分かっていたではないか。すでに1965年の日韓基本条約において、韓国は戦後賠償における対日請求権を放棄し、両国の歴史問題は解決済であったにもかかわらず、韓国はその後も慰安婦問題を蒸し返してきたのであるから、かりに「慰安婦合意」で我が国が再び謝罪と賠償をしたところで、韓国が再び合意を破り、歴史問題を蒸し返すことなど火を見るよりも明らかであった。それでも安倍首相は、必要のない「慰安婦合意」を敢えてした結果、案の定、韓国を増長させ、今日の事態を招いたのである。「韓国けしからん」と思うのは当然であるが、それ以前に、こうなると分かっていながら、韓国に我が国の「侵略責任」を認め、屈辱的な謝罪と賠償をした安倍首相こそ断罪されて然るべきである。

安倍首相の罪状五箇条
これは単なる一例に過ぎない。他にも安倍首相は、従来における保守的な信条と明らかに逆行する政策を推し進めている。その罪状として思いつくものを挙げると、以下の五箇条にまとめられる。
第一に、空虚な「日米同盟」幻想に基づいた、宗主国アメリカに対する従属的な外交・防衛政策、シナや北朝鮮の脅威に対する無為無策拉致問題での進展ゼロ、
第二に、上述した慰安婦問題を含む、歴史認識の問題における自虐史観の追認、靖国神社への不参拝、
第三に、深刻化する移民問題の放置、
第四に、我が国独立の基盤である農業や地方社会を破壊し、国家資源や国民財産を外資に売り渡す一連の新自由主義的経済政策                       
そして第五に、昨今における今上陛下の御譲位の問題に際して表出した皇室への不敬不忠である。
 それでは安倍首相の売国的罪状について一つずつ見ていこう。
亡国の「日米同盟」
まず、第一の国防・外交政策について、政府は北朝鮮の核・ミサイル開発に対する唯一の対抗策として、ミサイル防衛システム(MD)に莫大な費用をかけている。しかしMDは、実用性に乏しい事がつとに指摘されており、複数の場所から同時にミサイルを発射された場合、全てを迎撃することは困難とされている。その際、北朝鮮のミサイルが核弾頭を搭載している場合、一発でも撃ち漏らせば致命傷になる。しかも目下北朝鮮は核を小型化して潜水艦発射型ミサイル(SLBM)の弾頭に搭載しようとしており、これが実現した場合、ミサイルの発射地点を把握することは益々困難になり、MDの実用性は薄れる。そこで、我が国が北朝鮮の核攻撃を防ぐ為には、アメリカの核抑止力が必要になるが、報道される様に、先般の北朝鮮アメリカ本土を射程に収める大陸間弾道(ICBM)の開発に成功したとされ、このミサイルに核弾頭を搭載すれば、米朝の間に相互核抑止が働く事になり、仮に我が国が北朝鮮の核攻撃を受けても、アメリカは北朝鮮に対して報復する事が出来なくなる。つまり、北朝鮮核武装は、アメリカの核の傘を破り、「日米同盟」を無力化する事を意味するのである。トランプ大統領は強い口調で北朝鮮を非難し、同国の核・ミサイルを止めさせようとしているが、金正恩体制が続く限り、北朝鮮が核開発を止めることは絶対にないし、その金正恩体制は、アメリカの東アジアにおける覇権を牽制する中露の庇護を受けているから、イラクの様な体制転換が起こるとは考えにくい。よって、我が国が北朝鮮の核・ミサイル開発に対抗する残された唯一の手段は、我が国もまた核・ミサイル開発に着手し、北朝鮮との間で相互核抑止を働かせる以外にないのである。しかるに、安倍首相は、最早無力化しつつある「日米同盟」にしがみ付き、MD等ほとんど役立たずで、アメリカの軍産複合体を儲けさせるだけの無用の長物に莫大な国税を費やし、北朝鮮の脅威に対する有効な対策を怠っている。それどころか、本来我が国の国防と直接の関係がない、集団的自衛権に論点をすり替え、国民の関心を問題の本質からそらしているのである。
我が国の核武装は個別的自衛権の範疇であるから、憲法改正の必要がなく、現行憲法の枠内で実現可能である。1957年、岸信介首相(当時)は、「現行憲法のもとで許される自衛権の行使の範囲内であれば、核兵器を持つことは憲法が禁じない」との見解を述べている。また1964年、佐藤政権下の内閣調査室から提出された報告書では、我が国が原爆を少数製造することは当時のレベルでもすでに可能であり、比較的容易であると指摘されている。つまり法的にも技術的にも我が国の核武装は何時でも可能であり、首相の政治決断の問題だということだ。その際、現行のNPT条約が、我が国の核武装に対する国際法的な障害になるが、同条約は第10条で「各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。」と規定しており、北朝鮮の核・ミサイル開発はその「異常な事態」に該当する。よって我が国は「自国の至高の利益」の為に、速やかなる核武装を断行すべきである(詳細は巻末の『自主防衛論』を参照)。
この様に、刻下の急務は我が国の核武装であって、それは個別的自衛権の範疇であるから安倍首相の政治決断によって何時でも実行可能なのである。しかるに安倍首相は、その決断を避け、個別的自衛権集団的自衛権の問題にすり替えて、我が国の安全保障上の脅威の拡大が、あたかも憲法9条が集団的自衛権の行使を禁じ、「日米同盟」が十全に機能しないことに起因しているかのごとく喧伝している。そして、シナや北朝鮮の脅威に対して「日米同盟」による有効な抑止を働かせるためには、集団的自衛権の行使を可能にする必要があるとして、従来の憲法解釈を変更し、安保法案を成立させて、我が国の「存立危機事態」における軍事的対米支援を合法化したのである。しかし、シナや北朝鮮の脅威など、我が国の存立に関わる問題は個別的自衛権で対処すべきであって、集団的自衛権は副次的な問題である。例えば、我が国固有の領土である尖閣諸島の問題についても、積極的な海洋進出を続けるシナの脅威から尖閣諸島を防衛する為には、自衛隊尖閣に常駐させ港湾施設を整備する等、軍事的実行支配を固めるのが先決である。事実、安倍首相は、かねてより自分が首相になったら尖閣自衛隊を常駐させると公言し、2010年の民主党政権下における尖閣沖漁船衝突事件に際しては、当時の自民党保守派を先導して、尖閣諸島への自衛隊配備を求める要望書を政府に出している。しかるにいざ首相になるや、尖閣防衛を集団的自衛権の問題にすり替え、有事の際にいち早く駆けつけると称して、わざわざアメリカからオスプレイなど高額な兵器を購入して日米の軍事的一体化を進めているのである。これでは本末転倒だ。

大義なき安保法制
集団的自衛権は個別的自衛権の基礎の上に成り立ち、個別的自衛権を欠いた状態で集団的自衛権を行使しようとすれば、「同盟国」という名の大国への際限無き軍事的外交的追従を招きかねない。言うまでもなく、我が国の場合、その大国とはアメリカの事であり、安倍首相は憲法改正の政治的ハードルが高いと見て取るや、安保法制によって事実上の解釈改憲を行い、集団的自衛権の行使を解禁した結果、アメリカが世界中で行う戦争への参戦を強いられるリスクを負うことになってしまった。そもそも、日米安保に基づく戦後の日米関係の構図は、我が国が戦力を持たず、基地をアメリカに提供する代わりに、アメリカが主導する自由主義経済に参加するというものであった。しかし、我が国がアメリカへの軍事協力義務を負うのであれば、アメリカに基地を提供する必要はない、もしくは我が国もアメリカに基地を置かねば筋が通らなくなる。それにトランプ政権下のアメリカは、自国第一主義に基づいて保護主義政策をとりつつあり、そうなれば、なおさらアメリカに戦力を供与する必要など無くなるのである。それでも安倍首相が、こうした時勢に逆行してまでも集団的自衛権に拘るのは、我が国の国益の為というよりアメリカの強圧によるものであろう。
首相の改憲論は、偉大な祖父である岸信介の遺訓によるものとされるが、同じ改憲派でも、岸が自主憲法の制定を志向し、安保改定ではアメリカの対日防衛義務を明記したのに対して、安倍首相の改憲論の眼目は、9条の改正に過ぎず、我が国に軍事的な対米協力義務を課するものであるから両者のベクトルは全く逆の方向を向いている。さらにその9条改正すら、安保法制を強行した今となっては最早不要となり、9条3項の「加憲」による自衛隊の合憲化など、問題の本質と関係のない議論をし始めている。これは安倍首相が最早改憲への興味をなくした証拠である。一方で戦力の不保持を謳い、交戦権を否定しておきながら、他方で自衛隊の存在を3項で明記すると言うことは、自衛隊は戦力ではない、つまり何の軍事的抑止力にもならないという事を内外に宣言するに等しく、さらには日夜公務に精励する自衛隊諸君の名誉を傷つけ、士気を阻喪せしめる愚行であると言わざるを得ない。
安倍首相は兼ねてから自称保守派として自衛隊の国軍化を主張し、自身が主導した自民党改憲草案(平成二十四年)に於いても国防軍の保持を明記しているが、戦力でなく交戦権のない組織など軍隊とは言えないのだから、首相の「加憲」論は、明らかに、かつての主張や自民党改憲草案と矛盾し、国民を欺瞞している。
さらに言えば、上述した自民党改憲草案では、国防軍について「内閣総理大臣を最高指揮官とする」と明記されているが、天皇陛下を主君に戴く我が国の国軍は「皇軍」に他ならず、その最高指揮官は大元帥たる天皇陛下をおいて他にない。したがって、真の「国軍化」とは、統帥権天皇に奉還して建軍の本義を正すことに他ならない。「兵馬の権」たる統帥権が、一重に上御一人たる天皇陛下の掌中に存することは、我が国の歴史に徴しても明らかである。明治15年に煥発せられた『軍人勅諭』には、次の様に記されている。「兵馬の大権は、朕が統(す)ぶる所なれば、其司々(そのつかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ。其大綱(そのたいこう)は朕親之(ちんみずからこれ)を撹(と)り、肯(あえ)て臣下に委ぬべきものにあらず。子々孫々に至るまで篤(あつ)くこの旨を伝へ、天子は文武の大権を掌握するの義を存して再(ふたたび)中世以降の如き失体なからんことを望むなり。朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。」
この様に、安倍首相が真に自衛隊の国軍化を謳うのであれば、それは「兵馬の権」たる統帥権天皇陛下に奉還し、建軍の本義を正すことから始めねばならない。(巻末『統帥権奉還論―安倍首相は聖上に兵馬の権をお返しせよ』参照)

日露交渉を阻みしもの
我が国日本の対外的独立性を担保するのは確固たる軍事的基盤であり、その唯一の方策は自主核武装をおいて他にないが、そう主張すると直ぐに返ってくる反論は、我が国の核武装は国際的孤立化を招き、戦前の二の舞になるというものである。確かに戦前の我が国は、満州権益でアメリカと衝突し、石油を求めて南進した結果、アメリカに石油を止められた為に、乾坤一擲、大東亜戦争への突入を余儀なくされた。その意味で、我が国が核武装を志向すれば、アメリカは経済制裁と称して我が国へのウラン燃料の輸出を停止し原発の運転を不可能ならしめるだけでなく、サウジアラビアUAEといった親米産油国に働きかけて、石油の対日輸出をも制限して政策変更を迫るであろう。
言うまでもなく、我が国は石油や天然ガス、石炭といったエネルギー資源のほぼ100パーセントを海外から輸入しており、その内石油については9割近くを中東に依存している。更に中東からの石油輸入の6割以上はサウジアラビアUAEといった親米国に依存している。したがって、アメリカがこれらの国に日本への輸出制限を要請すれば応じかねず、その場合我が国は瞬時にして行き詰まることになる。こうした事態を回避する為には、平時から原発への依存を減らし、石油や天然ガス、石炭などのエネルギー資源の供給源を多角化してリスクを分散しておく必要があるのは言うまでもない。
そこで新たなエネルギー供給国として注目されるのがロシアであるが、周知の通り、我が国とロシアの間には北方領土問題が横たわり、平和条約締結の障碍となって来た。去年十二月のプーチン訪日では、北方領土問題の歴史的進展が期待されたが、結局何の成果もなく、かえって北方四島における「共同経済活動」という、我が国がロシアの実効支配を追認するかの様な屈辱的合意がなされてしまった。何故、北方領土問題は進展せず、平和条約は締結されないのか。プーチン北方領土を返す気がないのか。その真意は分からないが、少なくとも返したくても返せない客観的要因が存する事は確かだ。それは、ロシアが我が国に北方領土を返還した場合、アメリカが北方領土に米軍基地を置く可能性を排除できないという問題である。
日米安保条約第六条は、在日米軍の「施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」とあり、それを定めた日米地位協定第二条では、「個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。」、「日本国政府及び合衆国政府は、いずれか一方の要請があるときは、前記の取極を再検討しなければならず、また、前記の施設及び区域を日本国に返還すべきこと又は新たに施設及び区域を提供することを合意することができる。 」とあるが、この規定の解釈について、外務省が作成した機密文書『日米地位協定の考え方』は「このことは、次の二つのことを意味している。第一に、米側は、わが国の施政下にある領域内であればどこにでも施設・区域の提供を求める権利が認められていることである。第二に、施設・区域の提供は、一件ごとにわが国の同意によることとされており、従って、わが国は施設・区域の提供に関する米側の個々の要求のすべてに応ずる義務を有してはいないことである。地位協定が個々の施設・区域の提供をわが国の個別の同意によらしめていることは、安保条約第六条の施設・区域の提供目的に合致した米側の提供要求をわが国が合理的な理由なしに拒否しうることを意味するものではない。特定の施設・区域の要否は、本来は、安保条約の目的、その時の国際情勢及び当該施設・区域の機能を綜合して判断されるべきものであろうが、かかる判断を個々の施設・区域について行なうことは実際問題として困難である。むしろ、安保条約は、かかる判断については、日米間に基本的な意見の一致があることを前提として成り立っていると理解すべきである。」とあり、日米安保の実際的運用面においては、在日米軍の展開に関する我が国の同意権を実質的に放棄することが記されているのである。
プーチン訪日に先立ち、谷内正太郎国家安全保障局長は、モスクワ入りしてロシアのパトルシェフ安全保障会議書記と会談した。その際、パトルシェフ氏が日ソ共同宣言を履行して2島を引き渡した場合、「島に米軍基地は置かれるのか」と問いかけてきたのに対して、谷内氏は「可能性はある」と答えたという。これではロシアが懸念を持つのも仕方がない。プーチンは訪日直前のインタビューで「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどれぐらい実現できるのか見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか。」と発言して我が国の主権の独立性に疑義を呈し、さらに首脳会談後の共同記者会見では、いわゆる「ダレスの恫喝」を引き合いに出し、「1956(昭和31)年に、ソ連と日本はこの問題の解決に向けて歩み寄っていき、「56年宣言」(日ソ共同宣言)を調印し、批准しました。 この歴史的事実は皆さん知っていることですが、このとき、この地域に関心を持つ米国の当時のダレス国務長官が日本を脅迫したわけです。もし日本が米国の利益を損なうようなことをすれば、沖縄は完全に米国の一部となるという趣旨のことを言ったわけです。」と述べ、日米安保に基づくアメリカの宗主的影響力が、日露平和条約交渉の障碍になっていることを明確に示唆しているのである。
我が国の世論は、親露派のトランプがアメリカの大統領になった事で、日露交渉の障碍がなくなったと淡い期待を抱く意見もあったが、問題の本質は誰が大統領になるかということではなく、日米安保地位協定によって我が国の主権が完全に独立しておらず、ロシアが我が国を対等な交渉相手と見做していないことに存するのである。したがってロシアとの外交的手詰まりを打開する前提としては、我が国が北方領土に対する日米安保の適用除外をアメリカから取付ける必要がある。その上で、北方領土の非武装地帯化をロシアに提案してはどうか。何れにしても、安倍首相の対米追従外交を是正しない限りロシアとの平和条約など夢のまた夢であろう。

第一次安倍内閣からの変節
 次に第二の問題として安倍首相の歴史観について観ていこう。周知の様に安倍首相は、野党時代から戦後の歴史教育における自虐史観の問題を厳しく追及し、いわゆる「従軍慰安婦」の問題については、早くから軍の強制性を否定し、慰安婦に対する「心からのお詫びと反省の気持ち」を表明した平成五年の河野談話を激しく非難してきた。また、自民党内保守派の議員連盟である「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」では事務局長を務め(現在は顧問)、慰安婦南京事件に関して否定的な立場を貫いてきた。同会は、2007年の米国下院で採択された「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」を公式に非難し、「慰安婦は性奴隷などではなく、自発的に性サービスを提供した売春婦に過ぎず、虐待などの事実もない」との見解を表明している。こうした歴史問題への強硬姿勢は、第一次安倍内閣において、慰安婦問題についての社民党・辻本清美衆院議員への答弁書について「軍の強制連行の証拠ない」ことを閣議決定(2007年3月)したことなどにも現れており、高い称賛に値するものであるが、やがて米国内での反日ロビー活動によって、安倍首相の歴史観への懸念が高まると、途端に態度を軟化させ始め、早くも同月には慰安婦への「同情とお詫び」を表明するに至った。言うまでもなく、これは明らかな変節である。シナや朝鮮に対しては虎の威を振りかざしながら、宗主国アメリに一喝されれば、急にシュンとして子猫の様に大人しくなる、これが「売国保守」たる安倍首相の特徴だ。



「自由と民主主義」のための靖国参拝
平成二十五年(2013年)十二月二十六日、安倍首相は、第二次内閣が発足してから丁度一年が経つこの日に首相として初となる靖国神社への参拝を行なった。安倍首相は、靖国参拝を半ば公約にしながらも、第一次内閣では叶わなかった事を「痛恨の極み」と述べていただけに、初の参拝はようやくとはいえ、称賛に値するものであった。しかしこの参拝に対して、米国政府が在日大使館を通じて「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」との声明を発すると、首相は急に不安になったのか、歴史認識に関するそれまでの態度を豹変させた。どうやら安倍首相には、TPPの合意調印や普天間基地辺野古移転が決まるなど、対米関係が良好ななかで、靖国参拝アメリカも大目に見てくれるだろうという読みがあったようである。しかし、アメリカが歴史問題への非妥協的な態度を示し、読みが外れたのを見て取るや、今度は姑息な弁解や変節を重ねるようになった。上述した様に、首相の靖国参拝は称賛に値するが、安倍首相は参拝した後に、「恒久平和への誓い」と題する談話を発表し、「日本は二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにして参りました。」また、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。」と述べている。しかし、そもそも靖国神社自衛隊の最高指揮官でもある首相がわざわざ「不戦の誓い」をする為に参拝する場所ではない。こうした行動は、「後に続く」を信じて敵陣に斃れた英霊への裏切りであるのみならず、愛国心発揚、戦意高揚を目的とした靖国の趣旨にも反するのではないか。それに靖国の英霊は、あくまで国体護持の為に戦ったのであって、首相が大好きな「自由と民主主義」の為に戦ったのでは断じてない。靖国神社の理念とは似ても似つかぬ「自由と民主主義」を敢えて持ち出したのは、今回の参拝が、戦後的な価値を否定し、アメリカとの関係を蔑ろにするものではないというメッセージなのであろうが、何にしてもアメリカや中韓等の顔色を伺い、「自由と民主主義」の価値を強調するために英霊を悲惨な戦争の犠牲者扱いして政治利用する位なら、むしろ靖国参拝などしない方がましである。

慰安婦像を黙認するアメリ
それに、安倍首相が強調する様に、日米両国が「自由と民主主義」の価値を共有し、強固な信頼関係で結ばれた同盟国であるならば、前述した様に、アメリカは何故、戦後から六十年以上経った2007年の下院決議において、未だに我が国の侵略責任を断罪する様な行動を取るのか。2011年、韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に慰安婦像を設置して以来、世界各地の反日韓国系団体が慰安婦像を設置し、我が国を貶めようと画策しているが、2013年、アメリカ、カリフォルニア州グレンデール市に慰安婦像が設置された場所は、グレンデール市の市有地、つまり地方政府の公有地においてであった。地方政府とはいえ、アメリカの公的な機関が、「従軍慰安婦」による反日プロパガンダに加担し、我が国を侮辱している様な国が果たして本当の同盟国と呼べるのか。ソウルの慰安婦像は、公道に勝手に設置されたものであるが、グレンデール市の慰安婦像は、市が公式に設置したものである。これに対し、安倍首相は韓国に対しては、強く抗議し、慰安婦像の撤去を求めたが、アメリカに対しては何の抗議も示していない。同盟国なら、我が国を貶めるプロパガンダに加担しても何も言えないというのであれば、それは同盟ではなくて単なる支配と従属の関係に過ぎない。
周知の様に、アメリカは、戦後の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に基づいて、我が国民に徹底した自虐史観と贖罪意識を植え付け、我が国を骨抜きにしようとして来た。したがって、アメリカが「同盟国」として信頼する日本とは、戦後の自虐史観を受け入れ、骨抜きにされた日本であって、一度我が国政府が、そうした歴史観を修正し、国家の尊厳を取り戻そうとすれば、それまでの同盟関係など何物でもなかったかの様に、情け容赦のない非難と制裁を加えてくるのである。その際、アメリカは韓国と共謀して、慰安婦をめぐる歴史戦において我が国を道徳的に断罪して来ているが、真の保守政治家であれば、こうした外圧を跳ね除け、我が国の歴史の正当性を固持して譲らない筈である。ところが、「売国保守」である安倍首相は、アメリカからの予想外の反発に直面するや、慰安婦への「同情とお詫び」を声明し、ついには自らが屈辱的として唾棄して止まなかった河野・村山談話を継承するに至った。

「河野・村山談話」の継承
アメリカ政府による「失望」声明から約半年後の平成26年3月14日、安倍首相は、参院予算委員会の答弁において以下の様に述べ、「河野・村山談話」を公式に継承した。
歴史認識については、戦後50周年の機会には村山談話、60周年の機会には小泉談話が出されている。安倍内閣としては、これらの談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。
 慰安婦問題については、筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む。この点についての思いは、私も歴代総理と変わりはない。
 この問題については、いわゆる「河野談話」がある。この談話は官房長官の談話であるが、菅官房長官が記者会見で述べているとおり、安倍内閣でそれを見直すことは考えていない。
 さきほど申しあげたとおり、歴史に対して我々は謙虚でなければならないと考える。歴史問題は政治・外交問題化されるべきものではない。歴史の研究は、有識者、そして専門家の手に委ねるべきであると考える。」
そこで今一度、安倍首相が公式に継承した「村山談話」がいかなるものか見てみよう。
村山談話
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
かくのごとく屈辱的な談話を、あろうことか保守政治家を自認する安倍首相が継承したのである。上で見た通り、安倍首相は「歴史問題は政治・外交問題化されるべきものではない。歴史の研究は、有識者、そして専門家の手に委ねるべきであると考える。」と言ったが、そもそも「村山・河野談話」自体が、歴史問題を外交カードにしようとする中韓や、我が国に侵略史観を植え付けるアメリカによる政治・外交的圧力の産物に他ない。また、確かに「歴史研究」は学者の仕事だが、「歴史認識」は事実をどう解釈するかの問題であり、その価値判断を下すのは学者ではなく、政治家の責任である。しかるにその「歴史認識」までも、学者の仕事だと言って避けるのは、政治家として責任放棄であり、結果として従来の侵略史観を追認するのと同じである。特に安倍首相は、野党時代、民主党政権の「歴史認識」について、自虐的だといってあれだけ激しく非難しておきながら、一度首相になった途端、歴史認識への価値判断から逃げるのは卑怯な態度である。
尤も、こうした首相の態度は、第二次内閣以降一貫している。今年平成29年2月のアパホテルに対する在日中国人による抗議デモに際しても、安倍首相は、不気味な沈黙を貫いた。事の発端は、アパホテルの客室に、「南京大虐殺」を否定する元谷代表の著書が置かれている事に中国人が抗議したことに発し、中共政府がアパホテルを非難するなど外交問題に発展したが、安倍首相は同問題に対して静観を決め込み、政府は在日中国人による抗議デモを認可した。元谷代表は、安倍首相の後援会の幹部を務める程の同憂同志であり、安倍首相もまた、かねてから「南京大虐殺」は中共政府による捏造であると主張して来たが、中共勢力による攻撃に対して、安倍首相は事実上アパを見殺しにした。
慰安婦合意にしても、政府は韓国との間で「最終かつ不可逆的な解決」がなされたとし、未来にツケを残さないなどと言っているが、それでは何の解決にもならない。飽くまで「従軍慰安婦」の存在を認めて謝罪賠償した上で、合意による解決がなされたと言うのは、「悪い事をしたけどもう謝りました」といって胸を張る様なものである。しかし、そもそも我々の祖先は悪い事などしていない。「従軍慰安婦」も「南京大虐殺」も存在しないときっぱり断言するのが筋である。かくして安倍首相は、歴史戦において完全なる敗北を喫した。

激増する「移民」
次に第三の罪状は、安倍内閣による一連の移民受け入れ政策である。2014年三月、内閣府が発表した試算に衝撃が走った。そこでは少子高齢化と人口減少への対策として毎年二十万人の移民を受け入れ、それと我が国民の合計特殊出生率が2.07に回復すれば、今後百年間は一億人人口を維持することができるというものであった。このあたかも政府が移民の大量受け入れを検討しているかのような試算は、根強い反発と危惧を招き、安倍首相は国会答弁で「移民政策は採らない」と明言するに至った。しかしながら、我が国における外国人労働者の数は、第二次安倍内閣が発足した12年の約68万人から16年には約108万人に激増し(年率20パーセント前後の急激な増加ペース)、安倍内閣の下で事実上の移民大量受け入れ政策が続けられている。安倍内閣は、一時滞在や出稼ぎ労働を目的とした「外国人労働者」と、我が国での定住や永住資格の取得を目的とした「移民」を区別し、後者の移民は認めない振りをしているが、国連やOECDによる「移民」の定義である「国内に1年以上滞在する外国人」の数は2014年の一年間だけで34万人に達し、これによると我が国はもはや世界で5番目の移民受け入れ大国になっている。留学生など一時滞在の外国人は移民に含めるべきではないという意見もあるが、留学生は専門学校や大学を卒業した後、我が国の企業に就職し、定住する可能性があるため、少なくとも移民予備軍であることは間違いがない。「移民政策は採らない」と明言しておきながら、百万人以上の外国人労働者を受け入れ、国民を欺く安倍内閣は、まさに売国保守政権である。

「外国人技能実習生」の問題
外国人労働者ならぬ実質的移民の少なからぬ一部を占めるのが、「外国人技能実習生」の存在である。そもそも、この「技能実習制度」は、外国人材への技術移転を通じた国際貢献を目的として93年に創設されたものであるが、実際には、外国人による単純労働の隠れ蓑として悪用されている実態がある。現在我が国には、今年(17年)6月時点で25万人を超える実習生が存在するとされ、新規入国者数は、13年が約69000人、14年が約84000人、15年が99000人とその数は年々増加している。国籍別の内訳をみると、シナとベトナムが全体の約七割を占めている。問題なのは、この「技能実習制度」で来日した外国人の失踪が多発していることだ。その数は、実習生の増加に伴い増加し、16年には5058人に上った。失踪者の多くは、建設現場など不法就労に従事するか、難民申請をしながら働いているとされる。外国人実習生の失踪が多発する要因としては、受け入れ先が長時間・低賃金での過酷な労働を強い、パスポートを取り上げたり、夜間外出を禁止したりする等の人権侵害行為が横行している事実が指摘されている。このため、政府は今年11月から「技能実習適正実施・実習生保護法」を施行し、実習生を斡旋する「管理団体」を許可制にし、新たな監督機関を設けるなどの対策を講じている。
一方で、上述したように、本来、国際貢献を目的としながら、実際には単純労働力の確保に悪用されている現行の「技能実習制度」事体の是非については、何の議論もされていない。実習生の失踪が相次いでいるにもかかわらず、失踪者を出した団体・企業への新規受け入れ停止措置は過去五年間で一度も行われていない。それどころか、前述した「技能実習適正実施・実習生保護法」では、優良な受け入れ先の実習期間が三年から五年に延長され、技能実習の対象となる業種として新たに「介護」が追加された。つまり、安倍内閣は、現行の実習制度の是非を検証することなく、なし崩し的に実習生の受け入れ要件を緩和し、実習分野を「介護」にまで広げることで、これまで政府が名目上否定してきた単純労働力の受け入れを実質的に解禁しようとしている。

「国家戦略特区」での移民解禁
現行の技能実習制度は、実質的な単純労働力確保の為の移民受け入れ政策であるが、名目上はあくまで外国人材への技術移転による国際協力が目的であった。しかし、目下、安倍内閣による一連の規制緩和政策の中でも、特に昨今の「加計問題」で物議を醸している「国家戦略特区」制度では、家事や介護、農業などの分野における単純労働力の受け入れが解禁され、もはや名実共に公然たる移民受け入れが推し進められている。
政府は少子高齢化を口実として、介護や農業での人材不足を補うためには外国人労働力がどうしても必要であるかの宣伝を行ない、その為の規制緩和を正当化しようとしているが、介護ヘルパーの平均年収は305万円に満たず、国民の平均年収とされる422万円(平成28年)に遠く及ばない。介護人材が足りないというのであれば、介護報酬を大幅に引き上げ、国策で介護職員の給料を上げれば良いではないか。また予算制約があるというが、国民の金融資産は1700兆円を超え、そのうちの6割は60歳以上が保有しているのであるから、介護保険料を引き上、受益者に応分の負担を課せば良いではないか。そうした努力もせずに、移民という安易な解決策に頼るのは政府の怠慢であり、未来への責任放棄である。
同様の事は農業についても言える。政府は、年々減少の一途を辿る農業人口の穴埋めで移民を考えているようであるが、我が国の主要農作物に対する関税率が他の先進国と比べて低く、農家への補助金も少ないことはつとに指摘されている。友人で愛媛に勤皇村を創ろうと意気込む気鋭の若者がいるが、彼らが農業での自活を計画したところ、当地のブランド米である宇和米の生産で1ヘクタール当り年間20万円の収入にしかならず、補助金の支給対象は水稲の場合、12ヘクタール以上の農家に限られていると聞いた。しかし、我が国における農家の平均耕作面積は2.41ヘクタールに過ぎないのであるから、実際補助を受けられるのは一部の大規模農家か農業法人に限られているという事である。これでは我が国の若者が農業で生計を立てられる筈がなく、離農が進むのは当然の帰結ではないか。外国人に農業をやらせる前に、まず我が国の零細農家を国がしっかり保護して生計の道筋を示すのが急務である。しかるに安倍内閣はTPPで、タダでさえ低い関税率を更に引き下げ、補助金の支給を困難にする政策を企てた。幸い未遂に終わったが、我が国の農業を破壊する売国的暴挙である。自ら農業を破壊する政策を推し進めながら、その結果を指して、農業人口が足りないから外国人を受け入れようとするのは本末転倒、自己欺瞞も甚だしい。

売国奴竹中平蔵を庇う安倍首相も同罪だ。
安倍政権がそうまでして、移民の受け入れに固執する訳は、こうした一連の規制緩和によって生まれる巨大なビジネスチャンスや利権にありつこうとするレント・シーカーが暗躍し、政府に不当な圧力を加えているからである。その筆頭格が竹中平蔵だ。竹中平蔵といえば、かねてから新自由主義的な経済政策を掲げ、小泉内閣の経済閣僚を歴任して構造改革を推し進めた人物として知られるが、なかでも彼が主導した郵政民営化は、郵政グループの金融資産に目を付けたアメリカの外圧に呼応した政策であった事がつとに指摘されている(関岡英之氏の「年次改革要望書」に関する著作など参照)。竹中はアメリカ政財界と太いパイプを築き、その代理人として我が国の政府内で隠然たる政治力を行使し、「公正な競争」という大義名分の下で、構造改革によって生まれた利権を、米国資本や自らの取り巻きに供与するという、売国的悪行を積み重ねてきた。その代表例が郵政民営化であるが、他にも彼の罪状としては、不透明な新生銀行上場認可、りそな銀行の乗っ取り、オリックスかんぽの宿」不正払い下げ未遂事件、日本振興銀行設立の闇などが挙げられている(植草一秀氏『日本の独立』参照)。
不可解なのは、かくのごとき曰くつきの人物が、いまだに安倍内閣の経済諮問会議の民間議員として政府の政策決定に一定の影響力を保持していることである。前述した国家戦略特区による農業移民の解禁についても、当初、所管の法務省や厚生省、農水省は消極的であったが、国家戦略特区諮問会議の有識者議員を務める竹中平蔵氏や八田達夫氏などから、「度重なる議論にもかかわらず、法務省の担当者などの対応が遅く、進捗が芳しくない」などと、文書でプレッシャーをかけられたことで、やらざるをえなくなった、という経緯がある。
さらに問題なのは、この農業特区に参入したオリックスの子会社「オリックス農業」の社外取締役に、特区政策の当事者である竹中が名を連ねていることだ。同様に竹中は、神奈川県における家事支援外国人の受け入れの特区指定に関与しておきながら、同事業を自らが会長を務めるパソナに受注させている。これが特区制度の私物化、利益相反でなくて何であろうか。目下政府は、働き方改革と称して女性を外で働かせ、家事を外国人にやらせようとしている。また農業人口の減少への対策として農業移民を受け入れようとしているが、これらは何れも竹中ら、レント・シーカーによる自作自演の茶番である。つまり、公正な競争に見せかけながら、受益者は最初から決まっているのである。昨今物議を醸している加計学園の不可解な事業認可も、問題の構図は全く同じだ。
第一次安倍内閣では、行き過ぎた構造改革の是正が目指され、郵政造反組の復党が認められるなどしたが、第二次内閣以降では構造改革路線が継承され、竹中一派が息を吹き返した。安倍首相の真意は分からないが、竹中の様な国賊とその一味を政府内に温存し、好き放題させている安倍首相も同罪である。

アベノミクスの挫折
第二次安倍内閣が発足してから五年が経った。これまで安倍内閣の経済運営が、デフレからの脱却を最優先課題に掲げ、アベノミクスによる三本の矢を放ち、景気浮揚を図って来たのは周知の通りである。三本の矢とは、金融緩和、財政出動、そして成長戦略を指す。その成果はどうであったか。
まず第一の金融緩和に関して、日銀は当初黒田総裁の下で物価上昇率2%、名目GDP成長率3%の目標を掲げ、「異次元の金融緩和」の名の下に、段階的にマネタリーベース(MB)を増やしてきた。マネタリーベースとは社会に出回っている現金と日銀にある金融機関の当座預金の合計額のことである。日銀は12年末に138兆円あったMBを2年後に2倍の270兆円に増やし、さらには二次目標として15年12月までに350兆円まで増やすと宣言し、長期国債投資信託などの金融商品を大量に買い上げて来た結果、13年3月には135兆円だったのが、14年3月で209兆円、15年3月には296兆円と倍増したが、一方で非金融機関の民間部門が保有する預金や現金の合計額であるマネーストックは13年3月で1150兆円、14年3月で1174兆円、15年3月で1177兆円とほとんど増えておらず、日銀が放出したマネーは金融機関に滞留し、民間への貸し出しや需要増にはつながっていない。このため17年11月の消費者物価指数は0.9%の上昇に止まり、目標の2%には遠く及んでいない。ここで言う消費者物価指数(コアCPI)は、天候による変動の大きい生鮮食品を除いた指数であるが、さらに原油などエネルギー価格の上昇を除いたコアコアCPIで見ると0.1%の上昇に過ぎず、物価上昇率は限りなくゼロに近いのが現状である。また、日銀の金融緩和によって円安になれば、輸出が増えて雇用も増えるというような、よくある議論も耳にするが、すでに我が国の製造業は生産拠点を海外に移転している上に、円安による原料価格の高騰は生産コストを押し上げ、輸出創出効果を減殺している。事実、アベノミクスが始まってから、為替レートは急激に円安になり、株高によって企業業績も回復したが、米国や中国、EUへの輸出数量は何れもほとんど変化がない。
これらの事実は実体経済に対する金融政策の無力を意味しているのではなく、経済のデフレ局面においては、金融緩和と同時に財政支出を増やして需要を創出し、日銀マネーが市中に浸透する様にしなければならないという事である。そこで第二の矢が重要になるが、安倍内閣では財務省を始めとする財政規律派が、依然としてプライマリー・バランス(基礎的財政収支)の黒字化を強硬に主張し、安倍首相も彼等の声に引き摺られる形で2020年までのプライマリー・バランスの黒字化を事実上公約し、19年10月には消費税の10%への増税が予定されている。しかし、財政規律を理由としたデフレ下での緊縮財政、増税政策は、経済の更なるデフレ収縮を引き起こし、日銀による折角の金融緩和による政策効果を台無しにしてしまう。
それに政府は、我が国の財政危機を強調し、消費増税を正当化しておきながら、一方では法人への法定税率を16年の32.11%から17年には29.97%、そして18年には29.74%へと段階的に引き下げる方針を示し、特に大企業には「国際競争力を高める」などと称して「租税特別措置による政策減税」などの優遇特権を与えているため、実効税率は極めて低く、17年3月時点の法定税率25.5%に対して実効税率はその6割にあたる15.6%に過ぎない。さらに、資本金が10億円規模までは、資本金の額に比例して実効税率が上がっていくが、それを超えて資本金の額が増えていく場合には、逆に実効税率は低下し、特に資本金100億円以上の大企業に適用される実効税率13%は、資本金1000万円以下の企業の法人税率(13.6%)と同じになるという、「逆累進」とも言い得る極めて不公正な税制が罷り通っているのである。こうした大企業優遇税制の結果、例えば三井住FG0.001%、ソフトバンク0.003%、みずほFG0.097%、三菱UFJFG0.306%、ファースト・リテイリング6.91%、丸紅7.1%といったように、我が国の最上位に位置し、本来最も法人税を納めるべき大企業が、最も納めていないというふざけた現状があるのである。中央大学の富岡幸雄教授によると、こうした大企業への不公正な減税相当額はトータルで9兆4065億円になり、この財源を以てすれば10%への消費増税中止はおろか、5%までの消費減税が可能であるという。このように、政府は財政危機を煽って消費増税を正当化しているが、その実は、法人減税による税収減のつけを消費者たる一般国民に押し付けているだけだ。ここに於いても大企業・株主重視、中小企業・消費者・労働者軽視のアベノミクスの実態が現れている。

新自由主義構造改革の大罪
アベノミクスにつきまとう緊縮財政論の呪縛が日銀による量的緩和の効果を減殺し、我が国経済のデフレからの脱却を遅らせている元凶である。目下の様に消費と設備投資が収縮しているなかでは、政府が公共投資を拡大して有効需要を創出し、民間の投資を牽引して国民所得を拡大し、消費を拡大することでデフレスパイラルからの脱却を図らねばならない。しかるにアベノミクスにおける第三の矢、すなわち「成長戦略」と称した一連の規制緩和政策は、新自由主義的な構造改革の延長であり、政府による公共投資を構造的に困難にする結果、国民を貧富の格差で分断し、我が国経済をデフレの奈落に突き落とす愚策である。そしてその規制緩和の背後では、竹中平蔵を始め、規制緩和によって生まれた利権を食い荒らすレントシーカーが暗躍しているのである。
周知のように、今世紀初頭に発足した小泉内閣竹中平蔵を司令塔に据えた新自由主義構造改革を推し進め、郵政民営化を強行した。当時の郵政公社は、郵便局と郵貯簡保の三位一体で成り立っていたが、小泉・竹中は、郵政公社を民営化して郵貯簡保の金融2社を分離しこれをこれを売却することを決定したのである。
しかし、それまで郵便局を通じて郵貯簡保の金融二社で集められた資金は政府に集中され、政府が発行する国債の購入資金と財政投融資の原資として運用されてきた。財政投融資は、民間での投資にそぐわない分野への公共投資と社会的インフラストラクチュア向け投資に向けられて国土建設に使われ、戦後の経済成長を牽引して来た。2000年までは、財政投融資の原資は、郵便貯金簡保生命に加えて公的年金資金が大蔵省理財局資金運用部に預託され、ここから政府系金融機関道路公団などの特殊法人への融資と国債・地方債・特殊法人への投融資として活用されていた。こうして国民から集めた資金が地方経済に還流していたのである。しかし2001年以降は、折からの財投改革によって、郵政・年金資金は自主運用に変わり、既に郵政と財投との直接的な資金ルートは絶たれていたにもかかわらず、竹中は郵政資金が無駄な公共事業の原資になっているというデマを喧伝し、いわば大義なき郵政民営化を断行したのである。
また政府の国債発行による資金調達について見ても、当時、日本国債保有者別内訳は、国債発行額の95%までを国内の投資家が保有しており、極めて安定した調達構造になっていた。とりわけ、郵政公社が全体の三割を保有していた為、郵政公社が民営化されれば、この郵貯資金が海外に流出し、日本国債保有構造が崩れ、長期金利の上昇となって日本経済に大きな打撃を与えることが懸念された。このように、郵政民営化は政府による公共投資の原資を枯渇させ、デフレ脱却の為の機動的財政出動を構造的に困難にする政策なのである。
アメリカの外圧による構造改革
さらに問題なのは、こうした国民経済の根幹に関わる政策が、アメリカによる構造改革要求という外圧に屈する形で推し進められた事だ。アメリカは、70代以降の慢性的な財政赤字貿易赤字によるドルの流出とドル安の進行、対外債務国への転落という現実に直面した。そこで、80年代以降、国内では金融中心の産業構造への転換を図ると共に、対外的には世界的な金融市場の自由化を推し進めることで、ドルの「帝国循環」を維持する戦略を打ち出したが、その際最初の標的になったのが、我が国の金融機関に所在する莫大な金融資産、なかでもその最大のシェアを占める郵貯簡保資金であった。93年に、米国債の安定購入先としてこの郵貯マネーに目を付け、これを具体的に提案した人物がケント・カルダーであり、米国政府は翌94年から「年次改革要望書」を我が国政府に突きつけ、郵政民営化を「要望」するようになったのである。ちなみに、このケント・カルダーは竹中の盟友とされる。
現在我が国の金融機関における資金量は1275兆円であり、このうち14%にあたる178兆円は郵貯銀行に預金され、さらにこのうち107兆円が国債購入に回っている。さらに、簡保生命には85兆円の保険マネーがあり、このうち48兆円が国債の購入に回っている。つまり、郵貯簡保資金263兆円から155兆円(59%)が国債に投資されているのである。一方で米国の国債保有者内訳を見ると、海外投資家の比率は、25・5%と米国人投資家の23.2%を上回っており、その内我が国が約40%を保有しているが、周知の様に近年では中国が保有比率を増やして対米外交カードにしている。そこで、米国は莫大な金融資産を自主運用することになった郵政の金融2社に日本国債での運用比率を下げさせ、代わりに米国債を買わせる事を目論んだ。
2012年、菅義偉官房長官の強行人事で郵貯銀行社長に就任した長門正貢(現日本郵政社長)は、シティバンク日本法人の会長を務めた外資派とされるが、彼は当時日本郵政西室泰三の指示で短期間に日本国債保有を減少する経営方針を打ち出し、実際に、2015年9月時点で国債の比率は45.2%だったのが、わずか二年後の2017年9月には31.1%に急落し、簡保も55.2%から52.1%まで減った一方で株や外債の保有比率が飛躍的に高まっている。ちなみに、上述した菅義偉は、竹中が総務大臣郵政公社を所管)を務めた時の副大臣、第一次安倍内閣時の総務大臣であり、12年4月の改正郵政民営化法案に際しては、小泉進次郎中川秀直平将明等と共に党議拘束に反しまで反対した外資派の一味とされる。その菅の肝いりで郵政公社の社長になった西室泰三アメリカと太いパイプを持つとされる。要は、小泉・竹中・菅・西室・長門は共謀結託して米国の意に阿り、我が国固有の資産である郵政資金を外資の生殺与奪に委ねようとしているのである。正しく売国奴という他ない。

保守の仮面を被った新自由主義者
エコノミストの菊池英博氏は、その著『新自由主義の自滅』のなかで、安倍内閣による新自由主義的な亡国政策として①税法の破壊ー法人税減税②労働法の破壊ー労働時間管理から経営裁量労働制へ③医療の破壊ー混合診療をテコに国民皆保険の崩壊④国家主権の破壊ー「戦略特区」という租界⑤農業の破壊ー農協解体と食料自給率低下を挙げている。
①については前述した通りであり、大企業重視、消費者軽視の不公正な税制が罷り通っている。
②について、安倍内閣は、小泉内閣以降推し進められて来た労働規制緩和を拡大し、これまで最長3年であった派遣期間を廃止し、同一部署での派遣労働を3年と改めることで、実質的な派遣雇用の永久化を可能にする「派遣法改訂」、ホワイトカラーに対する1日8時間・週40時間の法定労働時間制を廃止し、労働生産性の向上と称して裁量労働制による無償残業を可能とする「残業代ゼロ法案」、これまで原則解雇が不可能であった労使関係を改め、金銭による自由解雇を可能にする「金銭解雇自由法案」等を推し進めている。派遣労働を含む非正規雇用の増加は、安倍内閣に始まったことではないが、少なくとも安倍内閣による一連の労働規制緩和政策が、こうした傾向に掉さしていることは間違いなく、非正規雇用の拡大は実質賃金を押し下げ、経済に対するデフレ圧力となっている。安倍首相は、自らの政権下で有効求人倍率が12年10月の0.83倍から1.56倍(17年5月)となったことを強調しているが、そもそも少子高齢化によって就労人口が減少しているのであるから、有効求人倍率が上がるのは当然であるし、その内実が労働規制緩和による非正規雇用の拡大によるものであり、そのせいで実質賃金はむしろ低下しているのであれば本末転倒であり、利益を得るのはパソナのような人材派遣会社だけである。
③について、国民保険適用外の自由診療と保険内診療の併用を認める「混合診療」は、上述した「年次改革要望書」にも記されたアメリカの対日要望事項である。アメリカは保険外診療の拡大によって、未承認新薬の販売と新たな保険市場の創出を狙っており、その為に我が国の世界に類稀なる国民皆保険制度の形骸化を目論でいるのである。国民皆保険制度の形骸化は、貧富の間における国民の医療格差を拡大し、一君万民の国体にもとることは言うまでもない。
④に関して、国家戦略特区は、昨今の家計学園問題に象徴される様に、規制緩和の弊害を見事に露呈している。そこでは外国資本を含む企業の自由な参入による公正な競争が謳われながら、その裏では安倍首相と気脈を通じた一部のレント・シーカーが不当な政治圧力を加えて国家の行政手続きを歪め、規制緩和によって生まれた利権を私物化しているのである。その中心にいるのが、国家戦略特区制度を首唱し、現在も政府の諮問会議で民間議員を務める竹中平蔵だ。竹中が農業改革特区で、外国人による農業移民の受け入れを解禁させ、自らが会長を務めるパソナにその斡旋業務を受注させているという、露骨な利益相反の問題については前に触れた通りだ。
そして⑤の農協改革について、政府は、表向きの目的を「農家所得の向上」などといっているが、その実態は、農協の100兆円に近い(JAバンク貯金92兆円、JA共済契約保有高300兆円)莫大な金融資産の簒奪を企むグローバル資本が在日米国商工会議所を通じて我が国に市場開放を要求し、政府がこの外圧に屈服した結果に他ならない。2014年5月、在日米国商工会議所は、JAにおける農業事業から農林中金JA共済連などの金融事業を分離し、他の金融会社と同等の条件で競争させ、さらに准組合員による利用を規制するよう我が国政府に「提言」した。この「提言」ならぬ「要求」を受けて、政府の規制改革会議は、早速同月に「農業改革に関する意見」を公表し、全中の廃止、全農の株式会社化、准組合員の事業利用を正組合員の二分の一に規制といった急進的要求をJAに突き付けたのである。その改革の急先鋒が小泉進次郎であり、彼は父純一郎がアメリカの手先として郵政民営化を強行し、郵政マネーを外資に明け渡したのと同様に、今度は農協を解体して莫大な農協マネーを外資の餌食に供しようとしている。正に売国の遺伝子、竹中と同類の国賊という他なく、こうした連中を政権の内部で重用している安倍首相も売国行為に加担しているのである。
亡国のTPP
そして何といっても、安倍内閣による規制緩和政策の最たるものは、やはりTPPであったろう。かつて安倍首相は、民主党によるTPP参加を公約違反として批判し、「聖域なき関税撤廃を前提とするTPPには断固反対」と言って、農協票を獲得しておきながら、一度政権を奪還するや掌を返した様にTPPを積極的に推進し出し、これに反対する農協を「我が国農業の競争力を阻害している」などと言い掛かりをつけて解体してしまった。そもそも我が国は国土面積が狭い上に、農地が国土に占める割合も小さい。農業の平均経営面積はアメリカが日本の75倍、EUが6倍、そしてオーストリアが1309倍と圧倒的な開きがあり、農産物の関税を撤廃すれば、我が国の農業が壊滅的打撃を被るのは目に見えている。また我が国の農業が政府によって過重に保護されているという見方についても、我が国の農家の所得に占める財政負担の割合は、15.6%と、アメリカの26.4%、フランス90.2%、イギリス95.2%と比較しても格段に低く、平均関税率についても我が国は11.7%、アメリカは5.5%であるが、EU19.5%と比べ決して高くはない。こうした状況下での関税撤廃は、ただでさへ競争条件が不利で政府の保護も希薄な我が国の農業を壊滅させ、食料自給率の一層の低下を招き、食料安保におけるアメリカへの従属強化を招く事は必定だ。
我々国民は、安倍首相が政権奪還をかけた2012年12月の総選挙を前に、『文藝春秋』で次の様に述べていたことを忘れてはならない。
「日本という国は古来から朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、『瑞穂の国』であります。自助自立を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の皆でこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
 私は瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい資本主義があるだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかしウォール街から世界を席巻した、強欲資本を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。
 安倍家のルーツは長門市、かつての油谷町です。そこには、棚田があります。日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、多くの漁り火が映り、それは息を飲むほど美しい。
 棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかも知れません。しかし、この美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです。そして、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のありかたを考えていきたいと思います。」
今となっては、もはや悪い冗談にしか聞こえないが、安倍首相が推し進めたTPPは瑞穂の国たる我が国の農業をアメリカの強欲資本主義に売り渡し、故郷の美しい棚田を台無しにする売国政策だ。幸い自国第一主義を掲げるトランプ大統領の誕生によって、TPPは未遂に終わったが、少なくともこの一件によって安倍首相の正体が、保守の仮面を被った新自由主義者であることだけははっきりした。
種子法廃止とグローバル資本の脅威
どちらかと言うとTPPによる関税撤廃がもたらすのは、食料自給率の低下という、いわば「量的」危機であるが、17年4月安倍内閣が成立させた種子法廃止法案は、我が国の農産物を遺伝子組換種子で汚染し、「質的」危機をもたらすものだ。通称「モンサント法案」と呼ばれるこの法案の成立によって、これまで都道府県に義務付けられてきた、稲、麦、大豆といった主要作物の種の生産や普及は根拠法を失い、民間企業の参入が加速すると思われる。問題なのは、この民間参入の拡大によって、モンサントなどのグローバル企業が我が国に「高生産性」を売りにした遺伝子組換種子などを持ち込み、食の安全性を脅かすのみならず、種子への「特許権」を通じて、我が国の農業を実質的に支配する可能性があることだ。
どうやら、この国民のほとんど誰も知らない種子法廃止を提言したのは、首相の諮問機関である「規制改革推進会議」及び「未来投資会議」のようであるが、そのメンバーを見ると、むべなるかな、竹中平蔵を始め、小泉構造改革の残党、グローバル資本の走狗と化した新自由主義者達が名を連ねている。彼らの狙いは、国家の戦略資源である種子、国家独立の根幹である農業をグローバル資本に売り渡すことに他ならない。もっとも仮にTPPが締結されていれば、種子法もISD条項によって、モンサントから提訴されていた可能性がある。
以上みた様に、安倍内閣は、経済成長の為の規制緩和と称しながら、その実はアメリカによる自由化要求に屈し、竹中を始めとするレント・シーカーと結託して新自由主義構造改革を強行することによって、我が国の社会経済システムそのものを、アメリカやグローバル資本の利益に従属させようとしている。

「瑞穂の国の資本主義」を取り戻すために
こうしてみると、この五年間におけるアベノミクスの成果は悲惨だ。たしかに、この五年間で日経平均は倍増し(2012年12月26日の10230円から2017年12月26日22892円)、GDPも50兆円増えた(2012年10‐12月期の492兆円から17年7-9月期549兆円)が、株価上昇に関しては、日銀やGPIFが国内株を大量に買い入れ株価を吊り上げたことによる「官製相場」であるから当然の結果であり、実体経済の好調を反映したものではない。むしろ、前述したように日銀の異次元緩和によってマネタリー・ベースが336兆円増加したのに対してマネー・ストックの増加は165兆円に過ぎず、両者の差額の171兆円は、金融機関からヘッジファンドなどへの融資を通じて、海外の投機筋に流れているという指摘もある。いまや我が国における株式取引の7割が海外投資家による売買となっており、これと、アベノミクスによる急激な円安によって日本株がドル評価で割安になっていることなどから、外資による日本株の「買い叩き」が進行しているのである。一方で、円安によっても輸出は増えておらず、むしろ原料価格の高騰などによって消費を圧迫している。こうしてみるアベノミクスによる株高で恩恵を受けるのは、日本企業を買い叩き、莫大なキャピタル・ゲインと配当を手に入れる海外投機家に過ぎない。彼らは短期的な利益を追及するあまりに、「もの言う株主」として、企業の経営陣に高い自己資本利益率ROE)を要求し、それが企業を自社株買いや、人件費、設備投資、研究開発等の抑制に向かわせる要因になっている。また人件費の抑制は、労働者に長時間労働を強い、設備投資や研究開発費の抑制は、技術革新を通じた企業の長期的発展を損なう原因となる。事実、我が国の企業が過去最高益を記録し、内部留保を積み増す一方で、労働分配率はむしろ下がっており、実質賃金は5年前(12年12月)よりも0.1%減少(17年10月時点)した。つまり、海外投機筋が企業利益を吸い上げる一方で、人件費を抑制された労働者は、低賃金・長時間労働に苦しむという搾取の構造が成り立っているのである。実質賃金の低迷は家計の消費支出を圧迫し、デフレを長期化させる一因になっていることは言うまでもない。

こうしてみると、我が国の金融政策においてデフレ脱却を妨げる最大の障害は、過度な金融市場の自由化が招いた株主資本主義の蔓延と、短期利益を目的とした投機マネーの跳梁跋扈にあるとも言いうる。したがって、政府は労働分配率を上げた企業に減税措置を講じるといった形で人件費拡大へのインセンティブを付与すると共に、投機取引への課税であるトービン税を導入するなどして、実体経済の堅実な成長を促進すべきである。

また財政政策においても、19年10月に予定される消費増税や20年を目途としたPBの黒字化目標は、折角の日銀による異次元緩和の効果を減殺し、デフレから脱却を遅らせる要因となるから撤回すべきだ。上述したように、我が国の大企業は「租税特別措置」によって法人税を殆ど減免されて、莫大な利益を株主への配当や内部留保に割り当てている一方で、財政再建のつけが消費増税に回されているのである。よって政府はこうした不公正極まりない税制を是正し、大企業への「租税特別措置」を廃止すると共に、19年10月の消費増税を中止し、逆に消費税5%への減税を実施すべきである。また政府は、PB目標を放棄し、デフレ型の縮小均衡ではなく、公共投資の拡大による成長型の財政均衡を目指すべきである。前述したエコノミストの菊池英博氏は、人口減少時代にふさわしい国土刷新計画として「5年間100兆円の政府投資を実行すれば、民間投資を誘発し、その相乗効果で成長力が強まり、税収の増加で政府投資は5年間でほぼ回収できる」と提案している。またこれも前述した様に、戦後の経済成長を牽引した公共投資の原資は、財投を通じた中央から地方への資金還流や郵政・年金資金による安定的な国債購入によって成り立っていたが、折からの構造改革は、そうした資金供給ルートを遮断した。その結果、我が国の金融資産の大部分を占める郵政・年金資金は、自主運用とされ、国債での運用比率が下がる代わりに株や外債での運用比率が飛躍的に高まっている。こうした中で、政府は、将来における公共投資の原資を安定的に調達する為に、日銀が政府による国債発行と同じペースで国債を購入し続けることを確約させるか、郵政グループや年金機構への統制(経営権)を復活して、資金運用の主たる使途を国債の購入に限定する必要がある。

そして最後に、安倍内閣は、一連の規制緩和政策を廃止し、竹中平蔵等、小泉構造改革の残党を政府内から一掃すべきである。繰り返し述べたように、竹中等はアメリカや外資と結託して我が国に規制緩和を強要し、それによって生まれた利権を私物化している。目下、安倍内閣が推し進める、労働規制緩和、混合医療解禁、国家戦略特区、農協改革は、何れも我が国の共同体的な相互扶助に基づいた社会経済システムを破壊し、これをアメリカやグローバル資本の利益に従属させるものであるから、全面的に廃止すべきだ。なかでも安倍内閣による新自由主義の最たる政策であるTPPがトランプ政権の誕生によって挫折したことは我が国にとって天佑神助と言うべきである。食糧安保は国家独立の根幹であり、我が国がなすべきなのは、ただでさえ希薄な農業への保護を撤廃するのではなく、逆に現在11.7%に過ぎない平均関税をEU並(19.5%)に引き上げ、輸出補助金等の財政補助によって最低限の食料自給体制を確保すると共に、種子法廃止による食の安全への不安を払拭して、質量の両面における食料安保体制を構築せねばならない。

詰まる所、我が国の経済再生は、旧来の新自由主義と決別し、共同体的な相互扶助に基づく「瑞穂の国の資本主義」を取り戻せるかにかかっているのであって、それは取りも直さず、我が国が真の経済的独立を獲得できるかという問題に等しいのである。

皇室に対する不敬不忠
 さて、これまで安倍首相が保守政治家を自称しながら、実際にはそれと全く裏腹の売国政策に加担してきたことを見てきたが、首相による売国的罪状の最たるものは、皇室に対する不敬不忠の問題である。いうまでもなく我が国日本は天皇陛下を主君に戴く天皇国である。よってその我が国の宰相たるもの、臣下たる国民の代表として皇室に忠誠を尽くし、万世一系たる皇統の護持を以て、国政の最重要課題となすべきはいうまでもない。いわんや保守を自称する安倍首相においてをやである。しかしながら安倍首相は、昨今の皇族減少によって皇統の安定継承が危殆に瀕しているにも関わらず(また、民主党政権下での女性宮家創設案を男系護持の立場から徹底的に排撃していたにも関わらず)、就任以来この問題を放置し、いまだ何等の進捗成果をも生んでいないのは、許しがたい不実怠慢、政治的不作為と言わざるを得ない。そればかりか、先般の今上陛下による御譲位の件に際しては、はなから譲位反対の政府方針を匂わせ、国民世論の大半が譲位に賛成しているのを知ると、しぶしぶ譲位は認めつつも一代限りという条件を付け、譲位の制度化を思召される天皇陛下の御叡慮を蔑ろにした態度は不敬不忠との誹りを免れない。我々は、こうした首相の皇室に対する不誠実極まりない態度を遺憾とし、平成二十九年三月、有志の連名で「今上陛下の御譲位に関する要望書」を安倍首相に提出した。以下に全文を掲載する。

「今上陛下の御譲位の件に関する要望書」
  昨今における今上陛下の御譲位の問題に関して、安倍内閣は一代限りでの譲位を認める特例法を制定する方針を固めた。しかしこの政府方針は、二つの重大な問題を内包している。
 第一に、陛下は御譲位について一代限りではなく、恒久的な制度化を思召されているということだ。陛下による昨年八月八日の「おことば」を素直に拝聴すれば、それが将来の天皇を含む「象徴天皇」一般の在り方について述べられたものであることは明らかである。第二に、譲位を一代限りで認める特例法は、現行憲法第二条で、皇位は「国会の議決した皇室典範の定めるところによる」とし、さらにその皇室典範の第四条で、皇嗣の即位は「天皇崩御」によるとする規定に違反する。
 本来、我が国の皇位は「天壌無窮の神勅」に基づき、現行憲法が規定するような「主権者たる国民の総意」に基づくものではない。したがって、皇室典範憲法や国会に従属するものではなく、皇位継承の決定権も、一人上御一人に存する筈である。しかしながら、その上御一人であらせられる陛下が、現行憲法の遵守を思し召されている以上は、この度の御譲位も憲法の規定に従う他なく、それに違反する政府方針は御叡慮を蔑ろにするものといわざるを得ない。
 もっとも政府は、衆参両院における与野党協議の結果、皇室典範に附則を置き、そこで特例法と典範は一体であることを明記することで憲法違反の疑義を払拭し、典範改正による譲位の恒久的制度化を主張する野党との政治的妥協を図ったが、肝心なのは、与野党間の政治的合意よりも、御譲位における最終的な当事者であらせられる陛下が、その特例法案を御嘉納あらせられるかという事である。
 安倍首相以下、我々国民の義務は承詔必謹、ただ陛下の御主意に沿い奉り、御宸襟を安んじ奉ることにのみ存するのであって、一度発せられた陛下のお言葉を歪曲する様な行為は絶対に慎まねばならない。特に、この度における御譲位の思し召しは、陛下が将来の天皇のあるべき姿について、長年、熟慮に熟慮を重ねられた上で、御聖断遊ばされたことであり、首相以下我々国民の側にいかに合理的な理由があるといえども、臣下の分際で反対する資格はない。
 ところが、先の「おことば」以来、この度の御譲位の問題に対する安倍内閣の態度は、陛下の御主意に沿い奉る誠意に欠け、はなから特例法ありきでの対応に終始したことは御叡慮を蔑ろにするものと言わざるを得ない。甚だしきは、首相が人選した「有識者会議」の出席者の中から公然と譲位に反対する意見まで噴出したことは極めて遺憾である。異論があるなら、前もって陛下に諫奏申し上げるのが筋であり、後から反対するのは不敬千万、皇威を失墜させ後世に禍根を残す所業である。「有識者会議」は首相の私的諮問機関といえども、安倍首相の政治責任は免れない。
 特に、陛下が最初に御譲位の思召しを漏らされたのは平成二十二年に遡るとされ、当然その御内意は歴代の内閣にも伝達されたにも関わらず、政府は聖明を蔽い隠して来た。その責任を棚に上げて、「おことば」という、非常の措置で下された御聖断に盾突くなど言語道断である。
なお、「有識者会議」での議論を踏まえた「論点整理」では、譲位が将来の全ての天皇を対象とする場合の課題として、「恒久的な退位制度が必要とする退位の一般的・抽象的な要件が、時の権力による恣意的な判断を正当化する根拠に使われる」ことが挙げられているが、「時の権力による恣意的な判断」は、譲位が今上陛下のみを対象とする場合に、「後代に通じる退位の基準や要件を明示しない」ことによっても引き起こされうるのである。
 このように、譲位を一代限りとするか、恒久的制度とするかという当面の問題は、賛否両論に一長一短あり、結論を一決しがたいのであり、だからこそ我々首相以下の国民は、こうした国論を二分しかねない問題については、最終的当事者であらせられる陛下の御聖断を仰ぐほかないのである。したがって、政府は、この度の御譲位に関する特例法案が与野党の政治的妥結を得たとしても、同法案を国会に提出する前に闕下に上奏し、御裁可を仰ぐべきである。
かつて孝明天皇は、御叡慮に反して通商条約に調印した徳川幕府に御震怒遊ばされ、諸藩に下された密勅の中で、幕府による「違勅不信」の罪を咎められた。これにより朝幕間の齟齬軋轢が天下に露呈したことで、幕府権力の正当性は失墜し、尊皇倒幕の気運が激成して、幕府崩壊の端を開いたのである。このように、我が国における政府権力の正当性は、天皇陛下の御信任に基づくのであって、それは「国民主権原則」や「象徴天皇制」に基づく現行の政府権力においてすら例外ではないということを安倍首相はゆめゆめ忘れてはならない。
 
 以上の趣意により、安倍首相及び政府は、君臣の分を弁え、これまでの御叡慮を蔑ろにした態度を猛省すると共に、一切の予断を排して承詔必謹し、以て一刻も早く御宸襟を安んじ奉るべきである。右強く要望する。
        平成二十九年三月二十八日
         内閣総理大臣安倍晋三殿
    安倍首相に承詔必謹を求める有志一同
                  
 また、昨今の皇統問題に関する見解は、平成二十八年二月に発表した『皇統護持論―安倍首相は皇統護持の実を挙げよ』で述べたのでそちらをご参照頂きたい。そこで述べたのは皇統護持は男系絶対であり、女系容認は事実上の易姓革命だということである。また我が国における皇位の正統はシナのそれと異なり、君徳の有無に左右されるものではなく、天照大神のご血脈を継ぎ給い、三種の神器を擁されるお方が唯一正統であるということである。
 山崎闇斎を始祖とする崎門学は、朱子学に依りながらもシナ的な易姓革命を断固否定し、君臣内外の義を明らかにした。また崎門の学統に連なる栗山潜鋒は、神器正統論の立場から、皇統の正閏を明らかにし、南朝正統論の基礎を確立したのである。しかしその一方で、潜鋒は、当時における朝廷の衰微と武家の専横が、畢竟、天子の不学不徳に起因することを述べ、君臣内外の義を正して朝政を恢復するために、『保建大記』を八條宮尚仁(なおひと)親王後西天皇の第八皇子)に奉じて君徳涵養の資となさしめたのである。つまり真の皇統護持とは、生物学的な「血統」の保存では足りず、君徳としての「道統」を継承し君臣の義を正すことを以ってはじめて充足するのである。
 これを実現したのが、明治維新である。明治維新の本義は、国家の近代化や西欧文明の受容にあったのではなく、保元平治以来七百年に及んだ武家専制の支配体制を打破し、君臣の名分を正して天皇親政の国体を恢復することに他ならなった。そしてその精神は、伊藤博文井上毅が、外来思想ではなく、我が国固有の国柄(コンスティテューション)としての国体を究明するなかで、苦心して編み出した大日本帝国憲法に結実したのである。対して、現行の占領憲法が依拠する国民主権政教分離といった基本原則は、アメリカを含む西欧市民社会特有の概念に過ぎず、これと神皇一体、祭政一致を旨とする我が国体の本義とは本来水炭相容れない(アメリカ由来の「自由と民主主義」を信奉する安倍首相としては夢想だにしないことであろうが)。しかるにそうした異形の憲法が戦後七十年以上も継続してきたのは、日米安保体制と共に、これを先帝今上の両陛下が曲がりなりにもご嘉納遊ばされて来られたからである。したがって、今後我が国が君臣の義を正して本来の国体に回帰し、無窮の皇統を護持するためには、現行憲法を廃して、大日本帝国憲法体制に復帰すると共に、皇室典範を皇室に奉還せねばならないが、あくまでこれは国民主権の発動ではなくして陛下の御聖断によらねばならない。そしてその為には、臣下たる国民、なかでもその代表である首相以下の重臣は、君徳を啓翼輔導し奉ることによって君臣合体し、国家の大道を邁進せねばならないのである。

「日本を取り戻す」とは
以上、「売国保守」安倍首相の罪状について見てきたが、何れについても言えるのは、安倍首相が保守政治の名の下にやっていることは、「親米保守」の名におけるひたすらなる対米従属であり、これは以前の民主党政権における媚中親韓外交と本質的には何も変わらない、事大主義的な属国外交だということだ。要は「親米反中」か「反米親中」かという違いに過ぎないのであって、そのどちらにも「日本」という基軸がないのである。それでも、安倍首相を支持し続けるというのなら、それは彼の掲げる「保守」の偽装看板に騙されているからに過ぎない。だから、いまだに安倍首相を保守の最後の希望のごとく信じている方はいい加減目を覚まして頂きたい。安倍首相がやっていることは、保守でも何でもない、「偽装保守」のまやかしだ。そればかりか、善良なる保守層の期待を裏切り、「日本」を「取り戻す」どころか、アメリカに売り渡そうとしている罪は「売国」の名にすら値する。だから、共産党は言うに及ばず、民進党社会党崩れが「売国リベラル」なら、安倍首相や自民党の自称保守勢力の実体は、「売国保守」に他ならない。この左右両翼の売国勢力に対して、いま我が国に必要なのは、真に「日本」の基軸による独立主義の勢力に他ならない。いまこそ真に「日本」を取り戻さねばならないのである。
では「日本」とは何か。それは天皇である。何故ならば我が国日本は、天皇を唯一正統な主君に戴く天皇国だからであり、我が国の国体は、主君たる天皇と臣下たる国民が一体となって利害苦楽を共にし、内外幾多の国難を乗り越え、歴史上一度の革命をも経ることがなかった点を特徴とするからである。したがって、本来の「保守」とは、この世界に類稀なる国体の護持を意味しなければならないが、戦後アメリカの軍事的支配下に置かれた我が国は、米ソ冷戦構造のなかで国際共産主義の防波堤とされ、国内政治においても、自民党に代表される「保守」はすなわち「反共」を意味するようになった。さらに冷戦が終結し、アメリカにおける我が国の軍事的価値は低下すると、アメリカは我が国に対する経済自由化要求をエスカレートさせ、我が国の自民党政権もまたこの外圧に屈する形で、小泉政権下の郵政民営化に象徴されるような一連の新自由主義構造改革を強行するに至ったのである。

真正保守運動の挫折
これに対して、平沼赳夫氏を中心とする一派は郵政民営化に反対して自民党を離脱し、真正保守の旗印を掲げて「たちあがれ日本」を結成したが、同党「応援団長」を務めた石原慎太郎都知事の計略で、橋下徹氏率いる大阪維新の会と合流したことで、新自由主義分子が混入し、さらにその後、橋下グループと訣別して「次世代の党」を結成して以降も、党内に新自由主義分子が残存したために、自民党保守との差異が曖昧になり、単なる補完勢力に過ぎなくなった結果、多党乱立のなかで埋没してしまった。また一時は田母神俊雄氏や西村真悟氏を中心に、次世代の党の後身である「太陽の党」が復活したが、田母神氏の逮捕、西村氏の落選などによって立ち消えになってしまった。かくして自民党の「売国保守」に対する「真正保守」の運動は雲散霧消したまま現在に至っている。
以上見た、真正保守運動の挫折は、時局のしからしめる所でもあるが、それよりも、自民党の「売国保守」に対して明確な思想的対抗軸を打ち出せなかったことが最大の原因である。それは、たとえばたちあがれ日本や次世代の党にしても、新自由主義との決別を掲げながら、一方では日米安保の堅持を謳い、また自主憲法の制定を掲げながら、一方では国民主権の堅持を謳うという自家撞着に陥っていたのも事実であり、その点では所詮、戦後自民党保守の範疇を抜け出るものではなかった。しかし、上述したように、新自由主義アメリカの外圧によるものであり、その根底にあるのは日米安保による日米軍事同盟の存在である。また自主憲法制定もその目的は、国体の護持でなければならず、欧米の革命思想もとづく国民主権が我が国体と相容れるはずがない。したがって本来の真正保守は、日米安保に対する対米自立、自主防衛と、国民主権に対する天皇親政、祭政一致の国体顕現を以て本義とせねばならない。とはいえ、現在の国民世論でそうした原理主義を掲げても選挙で勝てないという判断もあったのかもしれないが、そうした目先の政局に囚われ、浮薄な世論に迎合する姑息な姿勢こそが、かえって国民の信義を損ない、運動を短絡的なものに終わらせる最大の原因なのである。

日本独立党の三大政策
そこで我々は、もはや既成の政治勢力による真正保守運動が消沈したいま、国家の衰運を座視するに忍ばず、いま日本に必要な真の独立政党、すなわちあくまで皇室中心主義に立つ対米自立政党として、平成二十八年の天長節を期して「日本独立党」を結成した。
我が日本独立党の政策は大きく三つ、第一に皇室中心主義による精神的独立、第二に対米自立、自主防衛による軍事的独立、そして第三に、新自由主義に対する国民経済の防衛による経済的独立である。
まず第一の皇室中心主義について、我々は天皇を主君に戴く、君民一体、祭政一致の国体を取り戻す。現行の占領憲法は、国民主権政教分離を定めているが、我が国の国体は天皇主権、祭政一致だ。我々は現代の大政奉還、王政復古によって君臣の名分を正し、国体の本義を顕現する。
第二の日米安保の廃止と自主防衛について、戦後我が国は米ソ冷戦下で対米従属を続けてきたが、冷戦終結以降も国家の自主独立を果たせていない。むしろ現在の安倍自民党政権は、対米従属を一層強化し、一方で軍事的膨張を続ける中国に対しても有効な抑止策を怠っている。我々日本独立党は、日米安保を廃して在日米軍を我が国から完全に撤退させ、自衛隊の国軍化、兵器の自主開発、尖閣諸島を含む国境離島への国軍配備、核武装によって、国家の完全なる軍事的独立を実現する。
そして第三の新自由主義に対する国民経済の防衛による経済的独立について、我々日本国民は天皇陛下の前に平等である。陛下は我々国民を大御宝として平等に慈愛し給う。したがって我々国民が享受している権利は、戦後憲法によって与えられたものでも天賦の自然権でもなく、臣下である我々国民に陛下が下された恩賜の民権に他ならない。戦後我が国は社民主義的な国家政策によって、一億総中流を実現したが、近年のネオリベ的な自由主義改革によって貧富の格差、先天的な不平等が拡大している。そこで我々日本独立党は、新自由主義から国民経済を防衛し、一君万民の国体を護持する。

玄洋社の三則
実は、上述した三大政策は、玄洋社の三則、すなわち、第一に「皇室を敬戴すべし」、第二に「本国を愛重すべし」、そして第三に「人民の権利を固守すべし」に準拠している。第二にある「本国」とは、対外的な国家主権の事である。玄洋社は明治十一年に結成された大アジア主義団体であり、戦後は、我が国によるアジア侵略の先棒を担いだ超国家主義団体として断罪されているが、当初は明治期の民党と同じく自由民権団体として出発した。なかでもその中心人物である頭山満は、城山で自決した大西郷の精神を継承し、欧化に対する国粋、西洋覇道に対する東洋王道を唱え、アジアの各国の独立運動を献身的に支援したのである。明治の民権運動において、国権と民権は対立するものではなく、国会の開設は、不平等条約の改正と一体不可分のものとして主張され、その精神的な中心軸として尊皇という理念が共有されていた。すなわち、我が国の国体は一君万民であるから、民権の伸長は皇権の伸長と相即し、この民権と皇権を担保するものとして国権が認識されたのである。しかるに、薩長藩閥率いる明治政府は、欧米列強に従属し、外国人の内地雑居、外国人判事の登用を含む屈辱的な条約改正案を推し進める反面、反対党に対しては呵責容赦のない弾圧を加え、外なる卑屈、内なる尊大の態度を露わにした。これに対して、頭山と同志の来島恒喜は、時の外務大臣大隈重信に爆弾を投擲し、条約改正案もろとも大隈を文字通り「失脚」に追いやったのである。また一方の民党も、政府の懐柔に屈し、国会の開設を条件に、条約改正の主張を取り下げ、政府の軍備増強政策に対しては、民力休養を訴えて国権の伸長を阻害した。頭山が松方正義内閣の内務大臣品川弥次郎と結託して選挙干渉、民党の弾圧に加担したのはその為である。このように、国権、民権の双方に偏向した政府と民党の変節に対して、頭山は、舟が右に傾けば左に寄り、左に傾けば右に寄るように、自らの出処進退を変えたが、しかしてその船首が指し示す方向は、絶対尊皇という不動の信念に他ならなかったのである。その頭山率いる玄洋社が上述した三則を掲げたのは、正に一見相反する国権と民権が、尊皇を通じて三位一体となり、国家独立発展の原動力となることを示すものである。(大アジア主義の思想と運動については、別稿『大亜細亜』所収「大アジア主義の総説と今日的意義」を参照のこと)

いまこそ真の国家独立を勝ち取ろう
翻って、目下の我が国に目を転じる時、戦後の日米安保地位協定はさながら安政不平等条約のごとく我が国を半独立の状態に置き、安倍内閣はさすがは長州の申し子というべきか、薩長藩閥政府のごとく、欧米(米国)に追従する一方で、国民の権利を抑圧し、外なる卑屈、内なる尊大の態度を露わにしている。また野党はといえば、野放図な人権礼賛、国家否定の主張に明け暮れ、内憂外患交々至る状況を呈している。つまり、明治から百五十年後の今も本質的な状況は何も変わっていないのである。こうしたなかで頭山満玄洋社が残した足跡は、今後の我が国の進路においても国家不動の方針を示している。すなわち、我が国は世界無比の天皇として、尊皇の大義を第一とし、国権の伸長は、自主防衛体制の構築による国家の軍事的自立を、民権の伸長は、新自由主義を排した国民経済の防衛と相即し、我が日本独立党の三大政策と完全に一致するのである。

いまこそ国民が立ち上がり、真の国家独立を勝ち取る秋である。我が日本独立党と共に、この独立への戦いを戦い抜こうではないか。


【参考】『自主防衛論―自主防衛への道―いまこそ核武装による恒久平和の確立を』

北朝鮮核武装が意味するもの
去る平成28年2月7日、北朝鮮が事実上の弾道ミサイルを発射した。このミサイルは射程1万から1万3千キロのICBM(大陸間弾頭ミサイル)であり、アメリカ本土を射程におさめる。すでに北朝鮮は2006年以来、これまで四回の核実験を行っており、金正恩は核弾頭の小型化にも成功したと主張している。よってそれが事実ならば、小型化した弾頭を弾道ミサイルに搭載すれば、アメリカ本土を核攻撃出来ることになる。                             
これは北朝鮮が、朝鮮有事に際するアメリカの介入を排除する抑止力を手に入れたことを意味し、戦後の米韓同盟にクサビを打ち込むものだ。というのも、朝鮮有事にアメリカが韓国を支援すれば、北朝鮮アメリカ本土への核攻撃を示唆し、米韓同盟を無能化することが出来るからだ。この可能性が韓国側にもアメリカへの不信感を生じさせ、早くも韓国世論では核武装論が噴出しているという。

しかし同様の問題は、米韓のみならず北朝鮮の脅威を共有している我が国とアメリカとの関係についても同様である。

MDは無用の長物だ
北朝鮮からのミサイル攻撃に対して、我が国は同盟国であるアメリカからMD(ミサイル防衛)を導入し配備している。MDは、敵国から発射された弾道ミサイルを、自国の迎撃ミサイルで撃ち落すシステムであり、我が国はアメリカに一兆円以上を払って、イージス艦など海上配備型の迎撃ミサイルであるSM3と地対空誘導弾パトリオットのPAC3を配備している。

しかし、実はこのMD、導入元のアメリカですら、これまでに行った迎撃実験は一度も成功しておらず、カネがかかる割りに実用性が乏しいシステムであることが指摘されている。アメリカは北朝鮮の脅威を喧伝し、自国の軍産複合体を儲けさせるために、法外に高く信頼性の低い兵器を我が国に売りつけているふしがある。

またMDが機能するためには、わが国政府はアメリカの軍事衛星から送られるミサイル発射情報に依存せざるを得ず、仮に北朝鮮アメリカに対する核恫喝を行った場合は、前述した米韓同盟のように日米同盟も無力化されかねない。

揺らぐアメリカの信用
とはいっても、北朝鮮の核・ミサイル実験はもはや年中行事と化しており、たしかに脅威ではあるが、所詮は周辺国から外交的な譲歩を引き出し、経済援助を手に入れるための空脅しに過ぎないという見方もあるだろう。

しかし、北朝鮮の後ろ盾となっている中国の脅威ははるかに現実的だ。周知のように、中国は近年における経済成長の鈍化にもかかわらず、軍事費は相変わらずの二桁増を続け、積極的な海洋進出を進めている。こうした軍事的拡張の結果、仮に中国が尖閣諸島に侵攻し、我が国と交戦状態に突入した場合、我が国がアメリカから導入したF15戦闘機やオスプレイによって迅速に対応し、尖閣を死守ないしは奪還することが出来たとしても、中国は軍事行動のレベルをエスカレートして我が国に核恫喝を仕掛ける可能性がある。

また日米安保に基づいて日本を援護するアメリカに対しても、在日米軍ないしはアメリカ本土への核攻撃を示唆して中国が核恫喝を行えば、アメリカは対日防衛を躊躇し、我が国民が期待するアメリカの核の傘は機能せず、核戦力を持たない我が国は中国への軍事的屈服を強いられる他ない。それでなくても近年、中東政策に膨大なコストを浪費し、財政的な制約を抱えるアメリカは嫌が応にも孤立主義的な性格を強め、中国の台頭を抑止する意思も能力もない。つまり日米同盟論者が信仰するアメリカによる核の傘は破れる以前に被さってもいないのである。

我が国も核武装を検討していた
こうしてアメリカの核抑止力に対する信頼性が揺らぐ中、我が国が上述した中朝の脅威に対抗し、自主的な核抑止力を保持することで北東アジアにおける力の均衡を維持しようという意見が出てきても不思議ではない。

事実過去にも、1964年に中国が核保有を宣言した際には、時の佐藤栄作内閣が我が国の核武装に向けて動き出し、同じく佐藤政権下の68年から70年までの間に、日本が自力で核武装できるかの調査が行われた。その結果、内閣調査室から提出された報告書によれば、我が国が原爆を少数製造することは当時のレベルでもすでに可能であり、比較的容易であると指摘されている。具体的には、黒鉛減速炉である東海炉(98年運転終了)は兵器級プルトニウム生産に適しており、プルトニウム原爆であれば200から300発製造可能」と記されている。

その後、周知のように、佐藤政権は67年に非核三原則を打ち出し、72年には沖縄返還が実現したが、その裏には有事の際にアメリカが沖縄に核兵器を持ち込むという密約があった。佐藤はアメリカの説得に屈し、アメリカの核に期待して我が国の核武装を断念したのである。

原爆製造は技術的に可能だ
周知の様に原爆には、プルトニウム型とウラン型がある。我が国が広島に落とされたのはウラン型で長崎はプルトニウム型だ。

まず、プルトニウム型に関して、すでに我が国は、原発の使用済み核燃料から回収した余剰プルトニウムを50トン近く保有している。このプルトニウムで原爆を製造するためには、プルトニウム239 の比率を93%以上に高めて兵器級プルトニウムを精製せねばない。そしてその作業は、核燃料サイクルと呼ばれる、高速増殖炉を使った核燃料の再処理によって可能であるとされるが、この核燃料サイクルは、複雑な構造から運用が上手くいかず、福島県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅも実用化の目処が立っていない。

そこで、次にウラン型であるが、これは青森県六ケ所村にあるウラン濃縮施設でにおいて、天然ウランから核分裂を起こしやすいウラン235を抽出することによって製造が可能である。

現行法でも核武装は可能だ
この様に、佐藤内閣時の報告書が答申した様に、我が国の原爆製造は技術的には可能であるが、核燃料サイクルが実現しない限り、資源小国である我が国は天然ウランの輸入に頼らざるを得ない。また、上述した我が国の核再処理施設や核濃縮施設にはIAEAの査察官が常駐しているため、我が国が原爆製造に着手するためには、NPTから脱退せねばならない。しかし、NPTは第10条で「 各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。」と明記されているのであり、前述した最近の情勢変化を受けて、我が国が「自国の至高な利益」を守るためにNPTを脱退することは、国際法で認められた正当な権利である。

また、国内法的にも、現行の原子力基本法には、我が国の核開発について、「確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行う」と記されており、我が国の「安全保障に資する」核開発としての核武装を禁ずるものではない。

さらに、憲法とのかねあいでも、1957年、岸信介首相(当時)は、現行憲法のもとで許される自衛権の行使の範囲内であれば、「自衛のためなら核兵器を持つことは憲法が禁じない」との見解を述べている。これは、我が国の核武装が、憲法が行使を認める個別的自衛権の範疇だということである。

このように、我が国の核武装は、憲法改正を必要とせず、現行法の枠内で実現可能だ。これは日米の一体的運用を前提にしたMDが集団的自衛権の行使にあたり、憲法違反の疑いがあるのに比べて余程政治的なハードルは低い。要は、安倍首相の政治決断次第だということなのである。

米国主導の核秩序から脱却せよ
とはいえ、アメリカは、戦後アイゼンハワーが行った「アトムズ・フォー・ピース」演説以来、核の平和利用と引き換えに核燃料や原子力技術を西側に輸出する政策を堅持しており、我が国がNPTを脱退し、原子力の軍事転用の意思を表明すれば、日本への核燃料の輸出を停止する可能性がある。とくに我が国が天然ウランの過半を輸入しているオーストラリアとカナダは共にアングロサクソン諸国であるから、アメリカに同調する可能性が高い。

したがって、今後我が国がNPT体制のようなアメリカ主導の核秩序から離脱する場合には、ウラン等の供給ルートを多角化することによって重要資源の安定調達を確保する必要がある。その際、新たな供給源になりうるのは、アメリカ主導の核秩序と一線を画するロシアやインドである。ロシアは国内にウラン鉱山を有するのみならず、世界のウラン生産の27%を占めるカザフスタンのウラン開発を主導している。またインドはNPTの非加盟国でありながら、我が国と原子力協定を結んでおり、核開発での協力が期待できる。

重要なのは、両国が中国と長大な国境線で接し、安全保障上の脅威を我が国と共有していることだ。ロシアは中国と沿海州の領有やシベリアへの越境移民などの問題をめぐる潜在的な対立を抱え、またインドもアクサイチンやラダックなどで中国との領土紛争を抱え、中共軍による越境侵略が後を絶たない。周知のように、我が国はロシアと北方領土問題を抱え、日露平和条約交渉は中断されたままであるが、両国の和解を妨害しているのはアメリカである。過去にも、ダレスの恫喝で日露交渉は頓挫し、現在もアメリカは安倍首相の訪露に反対しているという。

安倍首相は、アメリカを過剰に怖れ、対米譲歩を繰り返しているが、かつて98年にBJP(インド人民党)政権下で核実験を行ったインドは、いまもアメリカとの友好関係を維持しているし、現首相のナレンドラ・モディー首相も一時は、アメリカから過激なヒンドゥ・ナショナリストとしてビザの発給を停止されていたが、首相に就任した14年には訪米してオバマ大統領と「民生用原子炉協定」について協議している。同様に、我が国の核武装も、アメリカからの自立ではあっても、訣別を意味する訳ではない。既成事実を積み重ね、「日米同盟」を漸次相対化していくプロセスが必要だ。

核武装は経済政策としても有効
我が国が核武装するに際して、その抑止力を最大限に発揮できるのは原子力潜水艦である。原潜は、通常動力の潜水艦より静粛性には劣るが、潜航時間が長く、秘匿性・生残性に優れている。よって、これに核弾頭を装備したSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を搭載すれば、敵からの核攻撃に対する第二撃(報復)能力を確保し、さかのぼって敵に第一撃を思いとどまらせることが出来る。

その際、我が国が保有する原潜はあくまで国産での開発をめざすべきだ。前述したように、現在の自衛隊が装備している、F15戦闘機、イージス艦パトリオットミサイルオスプレイなどの兵器は、アメリカの継続的な技術支援、作戦面での協力がなければ運用不可能であり、それが我が国の自立を妨げる重大な要因になっている。よって我が国政府は、兵器の国産化を推進することによって、軍事産業における技術革新を促し、アメリカへの軍事依存を漸次軽減して行かねばならない。

また原潜を始めとする兵器の国産化は、政府主導の産業政策、ケインズ的な有効需要政策としても有効である。ある試算によると、戦略ミサイル原子力潜水艦を一隻保有するためにかかる経費は、9360億円であり、その開発期間が各5年として4隻保有した場合に要する20年でかかる経費の総額だけでも7.5兆円になるという。よってこれらの事業に対する政府支出がもたらす経済的な波及効果は計り知れず、かねてよりデフレ不況からの脱却を目指す我が国にとって、景気浮揚策としても有効であると思われる。

核武装なき対米自立は幻想に過ぎない
これまで縷々述べたが、つまるところ、国家の防衛政策は「我が国以外は全て仮想敵国」(チャーチル)だという原点から出発せねばならない。中朝の脅威のために「日米同盟」に頼る考えも、また対米自立のためにアジアとの「友愛」に期待する考えも、共に我が国を守ることは出来ない。我が国を守りうるものは、唯一我が国のみである。このことを自覚すれば、我が国が生き残る道は、唯一核武装による国家の自主独立しかないと確信する。

【参考】『統帥権奉還論―安倍首相は聖上に兵馬の権をお返しせよ』(呉竹会『青年運動』平成26年5月号)

精神不在の再軍備
昨今、安倍首相は従来の内閣による憲法九条の解釈を変更し、これまでの個別的自衛権に加えて、集団的自衛権の行使を容認しようとしている。こうした議論は重要ではあるが本質的ではない、むしろ技術的な枝葉末節の議論である。なぜならば、国家の自衛とは、それが個別であれ集団であれ、一旦戦争ともなれば、実際に血を流して戦うのは我々生身の国民なのであり、そうした死活局面において、将兵たる我々にとって最も深刻切実な問題は、「我々はいったい何を守るために戦い、何のために死ぬのか」という、突き詰めて道徳的な命題に他ならないからである。

しかるに現行の安倍内閣を含めて、戦後の歴代内閣は、瑣末な法律論争に膨大な時間と労力を費やす一方で、この将卒の死活問題に対する道徳的な回答を避けてきた。これでは、仮に集団的自衛権を容認し、アメリカから大枚をはたいて買わされた兵器でどれだけ重武装しても、肝心の将兵の士気が振るわず、民族の底力を十分に発揮することはできないであろう。

あるいは、いくら味方の武器が敵のそれに対して劣弱でも、将兵に絶対の忠誠心と不屈の闘争心があれば、大楠公のごとく七生滅賊の精神で生き代わり死に代わりして戦い抜き、終には勝利することが出来る。明治維新や日清・日露の戦勝は、楠公精神の勝利である。また同様のことは、外国を見渡しても、ベトコンやタリバンの勇敢な戦いぶりが証明しているではないか。彼らの勝利は、戦時において勝敗の帰趨を決する究極的な要因が、武器や作戦の優劣ではなく、死を恐れぬ将卒の士気にあることを示している。

玄洋社中野正剛は『戦時宰相論』の中で「国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことによりて滅びるのである」と述べているが、あるいはこれを換言すれば、戦時において、指導者が自信を堅持し、国民が意気を阻喪しない限り、我が神州は絶対に不滅だということなのである。問題は、こうした将卒の絶対不屈の戦闘心が、奈辺に源泉するのかということである。

首相の軍隊で戦えるか
周知のように、現在の自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣である。つまり、戦時に際して、自衛隊将兵内閣総理大臣に忠誠を誓い、またその命令に服従して国家に命を捧げるということだ。これは、現行憲法国民主権を謳い、内閣総理大臣はその主権者たる国民に選挙された代表なのであるから論理的にはさもありなんである。

しかし戦争は生死の問題である。首相とはいえ、所詮は人間である。よって時には間違いも犯すし、国民から罵声を浴びることもあるだろう。そんな彼のために死ぬ国民はいない(菅某の名前で赤紙が届いても応召する国民は皆無だろう)。いや、それでも愛する家族を守るために戦うというのなら、わざわざ前線で命を危険にさらすよりも、家族ぐるみで外国に亡命すれば済む話だ。つまり何を言いたいのかというと、国民が祖国に命を捧げるということは、世俗を超越した目的、つまり神への信仰であり聖戦の大義に殉じるということであって、それがなければ、国家がいくら強権を発動しても、国民の死力を動員することなど到底不可能だということだ。

国民精神の根幹は尊皇である
忝くも世界無比の皇室を戴いている我が国において、国民の愛国心の源泉は、万世一系天皇陛下に対し奉る忠誠心をおいて他にない。そして、その誠忠心の要諦は、明治維新の端緒を開いた勤皇の志士、竹内式部が記した『奉公心得書』における冒頭の一節に尽きるのである。

夫(そ)れ大君(おほぎみ)は、上古伊弉册尊(いざなみのみこと)天日(あまつひ)を請受(こひう)け、天照大神を生み給ひ、此の国の君とし給ひしより、天地海山よく治まりて、民の衣食住不足なく、人の人たる道も明らかになれり。其の後代々の帝(みかど)より今の大君に至るまで、人間の種(たね)ならず、天照大神の御末(みすゑ)なれば、直に神様と拝し奉つり、御位(みくらひ)に即かせ給ふも、天(あめ)の日(ひ)を継ぐといふことにて、天津日継(あまつひつぎ)といひ、又宮つかへし給ふ人を雲(くも)のうへ人といひ、都を天(あめ)といひて、四方(よも)の国(くに)、東国よりも西国よりも京へは登(のぼ)るといへり。譬(たと)へば今床(ゆか)の下に物の生ぜざるにて見れば、天日(あまつひ)の光り及ばぬ処には、一向(いつかう)草木さへ生ぜぬ。然(さ)れば凡そ万物(よろづのもの)、天日の御蔭(おかげ)を蒙(かうむ)らざるものなければ、其の御子孫の大君は君なり、父なり、天なり、地なれば、此の国に生(いき)としいけるもの、人間は勿論、鳥獣草木に至るまで、みな此の君をうやまひ尊び、各(おのおの)品物(ひんぶつ)の才能を尽(つく)して御用に立て、二心(ふたごころ)なく奉公し奉ることなり。

すなわち、我が国の天子は、天照大神より天津日継(あまつひつぎ)たる宝祚を受け継いだ神の末裔にして現御神(あきつみかみ)なのであり、この世で天の日を仰ぐ全ての生きとし生けるもののなかで、その大恩を蒙らぬものはない。だから人間は勿論、鳥獣草木に至るまで、みなこの君を尊敬し、各々の才能を尽くして天子のお役に立て、二心なく奉公するのが臣民の道であるということである。

頭山翁の臣道論
奇しくも上述した式部の臣道論は、頭山満翁による『日本臣民たるの幸福』と題する説話の趣旨と全く合致する。翁は曰く、

我が日本の天子様は宇宙一の尊い生神であらせられる。そして一切の万物悉く天子様の御物でないものはない。わけても、その最も大切な御宝は、吾々の一億の日本臣民である。この天子様の大みたからである我々臣民の生命は、自分の生命であってしかも自分のものではない。天子様の御為に死すること、それは臣民として大慶この上もないことである。
 我々は万物の中でも特に人間と生まれたことを天に感謝せねばならぬが、人間の中でも、尊い天子様の赤子として、この万邦に比類なき日本国に生まれたことは凡そこれより有難いことはない。であるから、吾々はこの天から授けられた恩恵に背かぬよう、絶対の誠をいたし、聖恩に報い奉るよう、常に吾と吾が志を励まして、日本臣民たるの本分を果たさなければならぬ。(藤本尚則氏編『頭山精神』所収)。

実のところ、両者の臣道論の合致は偶然ではない。というのも、式部は江戸中期に神儒習合の思想を確立した山崎闇斎の学統に連なり、頭山翁は、幼少時代に師匠の高場乱女史からその闇斎の学問を教わっているからである。かくして両者の根底には我が国史を一貫する敬神尊皇の精神が脈打っているのである。この敬神尊皇の精神こそ、戦時に際しては我が国民を打って一丸となし絶対不屈の戦闘精神を勃湧せしめる思想的源泉に他ならない。

兵馬の権は何処にありや
ところで、我が国において、「兵馬の権」たる統帥権天皇大権であることは、天照大神天孫瓊瓊杵尊の降臨に際して、かの有名な「天壌無窮の神勅」と共に賜った三種の神器の一つに神剣が含まれていることにも暗示されている。周知のように、この神剣は素戔嗚尊が退治した八岐大蛇の中から見出され、後に景行天皇から夷狄調伏の大命を受けた日本武尊が佩帯していたことから、朝廷が掌握する武権(兵馬の権)の象徴となった。したがって、安徳天皇の入水と共にこの神剣が壇ノ浦の藻屑と消えたことは、朝廷が兵馬の権を喪失する不吉な前兆となったのである。

事実、その後の六百年間に亘って天下の権柄は武門に移り、朝廷は有名無実の存在と化した。よって、その後の忠臣義士たちによる王政復古の企ては、武家に盗まれた兵馬の権を取り戻すことに主眼が置かれたのであり、それは明治維新において特に顕著である。
岩倉具視に対する真木和泉の建策によって、「王政復古の大号令」に「諸事神武創業之始ニ原キ」と謳われ、天皇親征が志向されたことはその端的な例であるが、明治15年に煥発せられた『軍人勅諭』には、その趣旨がより明示的に記されている。

兵馬の大権は、朕が統(す)ぶる所なれば、其司々(そのつかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ。其大綱(そのたいこう)は朕親之(ちんみずからこれ)を撹(と)り、肯(あ)て臣下に委ぬべきものにあらず。
 子々孫々に至るまで篤(あつ)くこの旨を伝へ、天子は文武の大権を掌握するの義を存して再(ふたたび)中世以降の如き失体なからんことを望むなり。朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。

また上述の精神は、明治22年に発布せられた大日本帝国憲法に反映され、第十一條において「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定された。その証拠に、伊藤博文が記した帝国憲法の注釈書である『憲法義解』では同条について次のように説かれているのである。

恭(つつしみ)て按ずるに、太祖実に神武を以て帝国を肇造し、物部(もののべ)・靫負部(ゆぎへべ)・来目部(くるめべ)を統率し、嗣後歴代の天子内外事あれば自ら元戎(げんじゅう)を帥(ひき)ゐ、征討の労を親(みずか)らし、或いは皇子・皇孫をして代り行かしめ、而して臣連(おみむらじ)二造はその褊裨(へんぴ)たり。天武天皇兵政官長(つわもののつかさのかみ)を置き、文武天皇大に軍令を修め、三軍を総ぶるごとに大将軍一人あり。大将の出征には必ず節刀を授く。兵馬の権は仍朝廷に在り。其の後兵柄(へいへい)一たび武門に帰して政綱従て衰へたり。
 今上(明治天皇)中興の初、親征の詔を発し、大権を総覧し、爾来兵制を釐革(りかく)し、積弊を洗除し、帷幕の本部を設け、自ら陸海軍を総べたまう。而して祖宗の耿光(こうこう)遺烈再び其の旧に復することを得たり。本条は兵馬の統一は至尊の大権にして、専ら帷幄の大令に属することを示すなり。

我が軍が天皇陛下大元帥に戴く皇軍であるという認識は、明治の御代において朝野の隔てなく共通一致した国論であった。それは当時、政府に対する民権派の急先鋒と目された植木枝盛までが、その私擬憲法案たる『東洋大日本国国憲案』(明治14年)の第七十八条において、「皇帝ハ兵馬ノ大権ヲ握ル宣戦講和ノ機ヲ統ブ」と何らの躊躇もなく記していることからも伺われる。

以前、本紙上において、頭山満翁等が中心となり近衛篤麿公を戴いて結成された対露同志会が闕下に捧呈した「日露開戦の奏疏」について紹介した(平成24年11月号『兵馬の権、何処にありや-対露同志会による日露開戦の奏疏』)。この奏疏が捧呈されたのは、明治36年の12月であるが、それに先立ち、頭山翁は神鞭知常や河野広中、佐々友房等(何れも衆議院議員)、同志会の幹部を伴い、枢密院議長の伊藤博文を訪問している。

当時、伊藤は対露協商派の領袖として政府に圧力をかけ、ときの桂太郎内閣に開戦を躊躇させていた。そこで頭山翁は伊藤と直談判をすることによって開戦の決断を督促したのであるが、その甲斐がなかったため、政府の頭上を通り越して上奏の挙に及んだのである(詳細は小論参照のこと)。頭山翁をしてこの行動をとらしめた根底には、兵馬の権は天皇大権なのであるから、たとえ政府が開戦に反対だとしても、最終的には陛下の御聖断を仰ぐ他ないという思想があったことは間違いがない。

国民軍から光輝ある皇軍
さて、先の大戦における敗北の結果、我が国はアメリカから屈辱的な憲法を押し付けられ、民族の自尊心を剥奪された。周知のように、この憲法象徴天皇制を謳いながら一方では国民主権を謳っている。しかし我が国の国体は天壌無窮の神勅によって天皇を唯一正当な君主に戴くことに決まっているし、三種の神器の神剣は、兵馬の権が朝廷に帰して、天子が大元帥、軍の統帥権者であることを表徴してるのであるから、これと革命簒奪思想である国民主権は絶対に相容れるものではなく、いわんやこの国民主権に則って、国民代表としての首相が軍の最高指揮権を牛耳るなどという発想は、恐れ畏くも「統帥権の干犯」以外の何者でもなく、保元平治以降における朝威の失墜と武家の台頭に匹敵するような歴史の退行、暗黒時代への逆戻りに他ならないのである。

目下安倍政権は、憲法解釈を変更して集団的自衛権を容認し、再軍備を推し進めている。安倍首相が陛下の忠臣であり、現実政治の制約のなかで、国家民族の再生に尽力しておられることに異論をさしはさむつもりは無い。しかし、安倍内閣がいくら憲法の解釈や条文を変更し、軍の実力を増強しても、それが国民主権であり、首相統帥の下で実施される限り、たとえ自民党憲法草案のごとく自衛隊を国軍に名前だけ変えても、所詮は国民の軍隊でしかなく、建軍の大義は通らない。それに、そんな筋の通らない軍隊では、将兵の士気が奮わず、民族の底力を発揮して外敵を破ることなど出来ないのである。

先に引用した中野正剛の『戦時宰相論』は、時の東条首相に対する批判であるが、当の東条は陛下の忠臣を以って知られ、「東条というものは一個の草莽の臣である。あなた方と一つも変わりない。ただ私は総理大臣という職を与えられている。ここで違う、これは陛下の御光を受けてはじめて光る」と言っていたそうである。かくいう東条は、やはり臣下の分を弁えたる真個の忠臣であった。彼は我が軍の強さの源泉が、現御神たる天皇に対する国民の絶対的な忠誠心に発することを正確に理解していたのである。

したがって、安倍首相はこの際、自らの掌握する統帥権天皇陛下に奉還することによって建軍の本義を正し、国民の軍隊たる自衛隊を光輝ある天皇の軍隊たる皇軍に改組し、以ってその忠臣たる真価を証明していただきたい。

先に、かつて安徳天皇の入水によって三種の神器の神剣が壇ノ浦の藻屑と消えたことは、朝廷による兵馬の権の喪失を暗示していたと述べたが、実のところ、このとき海に沈んだのは、崇神天皇の御代に模造された神剣であり、本体は日本武尊熱田神宮に奉納して以来、今も昔もずっと同神宮に鎮座ましましている。よっていかなる時代の変遷があろうと、天壌無窮の宝祚とともに、三種の神器が欠けることはありえないのであり、したがって、その不可分の一つである神剣が表徴する兵馬の権は、紆余曲折こそあれ、最後は必ず朝廷の元に帰する定めにあるのである。

【参考】『皇統護持論―安倍首相は皇統護持の実を挙げよ』(『崎門学報』第六号より転載)

待ったなしの皇統問題
第二次安倍内閣が発足してから三年がたった。元来、安倍首相は保守政治家を以って自任し、自民党が政権を奪還した先の総選挙では、「日本を取り戻す」といって首相に返り咲いた。しかしその安倍首相が、わが国存立の根幹をなす御皇室の問題について、いまだ何らの方策を講じていないのは、わが国の宰相として、いわんや保守政治家として、怠慢の謗りを免れない。

有史以来、我が国の皇位は、男系による継承が貫かれてきた。ところが戦後、昭和四十年の秋篠宮ご誕生以来、御皇室には久しく男児のご誕生がなく、近年に至り、将来的な皇位継承者の不在による皇統断絶の危機が発生した。そうしたなかで、平成十七年、時の小泉首相の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」は、皇位継承資格者を男系男子に限定する現行の皇室典範を改正し、女性・女系天皇を容認する内容の報告書を首相に提出し、物議を誘発した。ところが、翌平成十八年に、悠仁親王ご誕生の僥倖が訪れ、澎湃たる奉祝ムードのなかで、皇室典範改正の議論は沙汰やみになった。しかし、親王のご誕生を以ってしても依然として将来世代の皇位継承資格者が不足している現状に変わりはなく、将来、親王男児がお生まれにならなければ同じ問題の繰り返しになるのであるから、現行典範のもとでは安定的な皇位継承は期しがたい。

本来、皇室典範は皇室の家法であり、我々国民が云々すべきではない。戦前の皇室典範は、皇室の家法であり、帝国議会の協賛を要さない不磨の大典であったが、戦後、アメリカによる占領下で制定された現行の皇室典範は、憲法の下で国会の議決に従う一般の法律に格下げされたため、畏れ多くも我々国民が議論せざるをえなくなった。また、この皇位継承の問題は、男系女系の如何によらず、現在の内親王・女王方が結婚などによって皇籍を離脱されるまでに結論を出さねばならず、事態は一刻の猶予も許さないのである。

有識者会議」の論拠
さて、前述した「有識者会議」の報告書は、典範改正の基本的視点として第一に「国民の支持と理解を得られること」、第二に「伝統を踏まえたものであること」、第三に「制度として安定したものであること」を示し、それぞれ、以下のような女性女系天皇容認の根拠を挙げている。

まず第一の「国民の支持と理解」に関して、現行の男系男子による継承は、非嫡系ないしは傍系の担保がなければ制度としての安定性を保てない。男系男子派は、戦後の昭和二十二年に臣籍降下した旧宮家皇籍復帰を主張しているが、これらの旧皇族は、皇籍を離れて久しく、今上陛下と共通の祖先は約六百前の室町時代にさかのぼる遠い傍系であり、国民が皇族として受け入れるか懸念がある。一方で、現在の「象徴天皇制度」は過去のどの時代よりも皇族として生まれ育ち国民に親しまれていることが重要であり、男性優位の価値観が変容した今日の国民にとって、男女や男系女系の別は重要でない。

次に第二の「伝統を踏まえたものであること」に関して、歴史的にも一旦皇籍を離れた皇族が、再び皇籍に復帰した例は平安時代の二例しかない反面、女性天皇は、八人十代の前例が存在する。皇位継承の伝統の本質は、男系ではなく世襲にあり、男系への固執によって、本質的な伝統としての世襲を危うくするのは本末転倒である。

そして第三の「制度として安定したものであること」に関して、現在の皇室は、非嫡出が認められず、近年急速な少子化が進む社会の動向と相即するかのように、出生数の減少が続いている。こうしたなかで、男系男子を維持しながら、皇位継承資格者を安定的に確保することは不可能であり、その対策として、男系男子派が主張する旧宮家皇籍復帰も、前述した様に国民の理解を得難い。

これに対して、男子護持の立場から、以上を論駁すること以下の通り。

皇室典範は不磨の大典
まず、第一の「国民の支持と理解」に関して、上述したように、本来皇室典範は、皇室の家法であり、我々国民が容喙すべきではない。明治典範の注釈書である『皇室典範義解』は、その序で「皇室典範は皇室自ら其の家法を條定する者なり。故に公式に依り之を臣民に公布する者に非ず。而して将来已むを得ざるの必要に由り其の條章を更定することあるも亦帝国議会の協賛を経るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は粗相に承け子孫に伝ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。又臣民の敢えて干渉する所に非ざるなり」と記されている。また典範第六十二条は「将来此の典範の条項を改正し又は増補すへきの必要あるに当たては皇族会議及枢密顧問に諮詢して之を勅定すべし」とあり、その趣旨について『義解』には「蓋し皇室の事は皇室自ら之を決定すべくして臣民の公議に付すべきに非ざればなり」と述べている。

こうした性格を持つ皇室典範が戦後は一転して国会の支配下におかれたのである。これは現行憲法で「国民の総意」に基づくとされた「象徴天皇制」の趣旨によるものであるが、いくら「国民の総意」に基づくとはいえ、だからといって、我々国民が今日の価値観や政治的都合で皇位継承のルールを変更し、ご皇室の命運を左右する資格などなく、最終的には当事者たる陛下御一人のご聖断を仰ぐべき問題である。あるいは逆に、一度御聖断が下れば、「国民の支持と理解」は自ずとついてくる。このように、報告書のいう「国民の支持と理解」は典範改正の結果ではあっても要件ではない。

女帝は「前例」ではなくて「例外」

次に第二の「伝統を踏まえたもの」に関して、たしかに我が国史上には、第三十三代推古天皇、第三十五代皇極天皇、第四十一代持統天皇、第四十三代元明天皇、第四十四代元正天皇、第四十六代孝謙天皇、第百九代明正天皇、第百十七代後桜町天皇、そのうち皇極天皇重祚して第三十七代斉明天皇孝謙天皇重祚して第四十八代称徳天皇、かくして八人十代の女性天皇がおはしますが、この八方は何れも男系皇女であり、その内、推古天皇皇極天皇持統天皇元明天皇は前天皇ないしは皇太子の寡婦で即位後も再婚されず、残りの元正天皇孝謙天皇明正天皇後桜町天皇も生涯処女を貫かれたから、少なくとも女系皇子は残されていない。
またそれぞれのご即位の経緯をみても、男系皇子が即位されるまでの臨時ないしは中継ぎの性格が強い。例えば、推古天皇敏達天皇の皇后であり、蘇我馬子による崇峻天皇の弑逆という大変事の後に即位されたが、これは摂政である聖徳太子への譲位を前提にしたものである。また皇極天皇舒明天皇の皇后であり、その御即位は中大兄皇子の年長し給うを待たれたものである。また持統天皇天武天皇の皇后であり、草壁皇子の早世し給いし後、その皇子である文武天皇の成人まで皇位を保たれた。元明天皇草壁皇子の妃にして文武天皇の母君であり、元正天皇はその長女であるが、いずれも文武天皇の遺子である聖武天皇の年長し給うを待たれた。さらに、後水尾天皇の皇女である明正天皇は、弟宮の後光明天皇が十歳になられるのを待って譲位され、後桜町天皇も、弟宮の桃園天皇が若くして崩御された後、幼少の後桃園天皇元服されるまでの中継ぎとして即位されたのである。このように、我が国史上における女帝の存在は、皇位継承の伝統にとって、前例というよりは例外の意味合いが強い。

これに対して、皇籍復帰の前例が平安時代の二例しかないというのは、第五十九代宇多天皇と第六十代醍醐天皇の父子二代のことであり、なかでも醍醐天皇は臣籍の出身であるが、この父子二帝こそ、それぞれ「寛平の治」、「延喜の治」として知られる天皇親政を敷き、皇運隆盛の時代を築いた名君に他ならない。

過去の教訓
また我が国は歴史上、皇統断絶の危機を三度経験しているが、その都度、女帝による中継ぎはあったにせよ、男系による皇統継受を守り通している。まず、最初の危機は、第二十五代武烈天皇から第二十六代継体天皇への継承の際である。武烈天皇には皇嗣がなく、応神天皇五世の末裔である男大迹王(おほとのおほきみ)が継体天皇として即位し、武烈天皇の姉妹である手白香皇女を皇后に迎え入れた。第二の危機は、第百一代称光天皇から第百二代後花園天皇への継承の際である。第百代後小松天皇の即位による南北朝の合一後、後小松天皇の皇子である称光天皇皇位を継がれたが、若くして崩御され、皇子も皇弟もなかった。そこで、北朝第三代崇光天皇の皇子栄仁親王を初代とする伏見宮家の三代目が後小松天皇の「猶子(親戚から入る養子)」として迎え入れられ、後花園天皇として即位された。第三の危機は、第百十八代後桃園天皇から第百十九代光格天皇への継承の際である。第百十六代桃園天皇が若くして崩御し給いし時、皇子の後花園天皇が幼少にましましたため、桃園天皇の姉君である後桜町天皇が中継ぎとして即位された。これは前述の通りである。しかし、その後花園天皇も、在位十年で崩御し給い、皇嗣も欣子内親王お一人であった。そこで急遽、後花園天皇の例に倣い、東山天皇の皇子直仁親王を初代とする閑院宮家から猶子が迎え入れられ、光格天皇として即位された。この光格天皇は、上述した後桃園天皇の遺子である欣子内親王を皇后に迎えられている。

 

このように、天皇に直系の皇嗣が女性しかおられない場合、皇位を継がれたのは、直系の皇女ではなくて傍系の男性皇族であり、かつその傍系の皇胤を、血統上の系譜は動かし様もないが、皇統譜の上で直系に組み入れる、もしくは近づけるために、上皇今上天皇の猶子にする、さらには遠い傍系からの継承という印象を和らげるために直系の皇女ないしは女王を皇后に迎えて地位の安定を図る、というのが皇位継承の伝統なのであって、直系維持のために女性・女系天皇を容認するには我が国の伝統に反する態度である。

また、女性天皇女系天皇は、峻別すべきであり、歴史上の例外を認めて女性天皇は容認すべきだという立場も存しようが、以上でみたように、男系皇嗣を前提にした中継ぎとしての即位でなければ皇統護持にとって意味をなさないし、今日の価値観に鑑みて、その女帝が過去の八方のように寡婦ないしは処女としてのお立場を貫かれることは困難である。とすれば、当然に臣籍から皇夫を迎えざるを得ず、その皇夫との間に生まれた御子は女系といえども皇子であることに変わりはないのであるから、またもや女系天皇の是非をめぐる問題が生じるのは必定である。

女系天皇は事実上の易姓革命
実は、かつて明治典範の制定に際しても、女性天皇をめぐる同様の議論が存在した。当初宮内省は、女性・女系による皇位継承を可能とした「皇室制規」を立案したが、伊藤博文の側近で明治憲法の起草に携わったことで知られる井上毅は、この「皇室制規」に反対して伊藤に提出した「謹具意見」のなかで次のように述べている。

「今此の例に依り、かしこくも我国の女帝に皇夫を迎え、夫の皇夫は一たび臣籍に入り、譬へば源の某と称ふる人ならんに、其皇夫と女帝との間に皇子あらば即ち正統の皇太子として御位を継ぎ玉ふべし。然るにこの皇太子は女系の血統こそおはしませ、氏は全く源姓にして源家の御方なること即ち我が国の慣習に於ても又欧羅巴の風俗にても同一なることなり。・・・欧羅巴の女系の説を採用して我が典憲とせんとならば、序にて姓を易ふることも採用あるべきか、最も恐しきことに思はるヽなり。」

すなわち、もし女性天皇が皇夫を迎えられ、その間に生まれた皇子が女系天皇として即位されたとしたら、その時点で皇統は皇夫の姓に移り、易姓革命が起ったことになる。いうまでもなく、我が皇室の尊厳なる所以は、皇統が万世一系であり、一度の革命も経ていないという事実に存する。したがって、女性・女系天皇によって、事実上の易姓革命が起るのであれば、皇位の正統性は失われ、下手をすると、奸臣曹丕によって後漢献帝が廃された後、かつて草鞋売りをしていた劉備玄徳が前漢景帝の子、中山靖王の末裔であることを理由に帝位に就いた例ではないが、遠い傍系の男系が我こそは正統なりと皇位を僭称し出してもおかしくはない。

そこで最後に第三の点に関してであるが、女性・女系天皇の容認は、報告書がいうように「象徴天皇制」の安定をもたらすどころか、かえって我が国に皇位の正統性をめぐる騒乱を惹起し、ご皇室そのものを危殆に瀕せしめる可能性すらある。

したがって、以上縷々述べた理由から、女性・女系天皇は容認すべきでなく、あくまで男系男子を護持すべきである。しかしその際、女性・女系派がいみじくも指摘するように、安定的な男系継承を確保するためには、非嫡系ないしは傍系による継承を担保する必要があるから、戦後臣籍に降下した十一の宮家を皇籍に復帰させるべきである。そして直宮に皇嗣が不在の場合は旧例に倣い、それらの宮家から男性皇族を今上陛下の猶子として迎え入れ、国民と親しみのある皇女ないしは女王を皇后ないしは妃に迎え入れることで皇位の安定を図るのである。先に、現在の内親王ないしは女王が皇籍を離脱されるまでの間に、皇位継承の問題を解決せねばならないと述べたのはそのためである。具体的には、現行典範第九条の規定を改め、天皇及び皇族が全ての宮家から男系の養子を迎えることが出来る旨明記すればよい。

こうした典範の改正は、現行憲法の元で国会の議決を要するものとされているが、前述したように皇室典範は本来、皇室の家法であるから国民の「支持と理解」に依拠するものではなく、また法律としても、制定されたのは現行憲法の施行前であるから、憲法の統制に服するものでもなく、政府がご聖旨を拝して改正を国民に通知すれば足る。

よって安倍首相はいまこそ、天皇国日本の宰相として、そして保守を自任する政治家として、陛下のご聖断を仰ぎ、以って皇統護持の実を挙げるべきである。

【参考】『大アジア主義の総説と今日的意義』(『大亜細亜』創刊号)
              
アジア主義とは何か
 大アジア主義とは何か。この問いに答えるのはそう簡単ではない。一般的に大アジア主義は、西欧列強によるアジア侵略の脅威に対抗するために、我が国を中心としたアジア諸国の連帯を説く思想と運動として説明されるが、これはあくまで政治的・文化的次元での定義であって、より根源的には、個人主義や物質主義を根底とする近代文明を、アジアの伝統的な共同体主義精神主義を再興することによって超克しようとする思想や運動として、道義的・文明的次元において定義されうる。後者における、「近代の超克」としての大アジア主義とその現代的意義については、本紙「創刊の辞」に言明した通りであるが、本稿では、まず前者の政治的・文化的次元における大アジア主義とその今日的意義について考察してみたい。
 周知のように、明治以降の我が国は、富国強兵や殖産興業のスローガンを掲げて国家の近代化路線を邁進し、そのために西欧列強から先進的な技術や制度を輸入した。それは、明治草創期の我が国政府が、西欧列強から不平等条約を課された半独立の国家であり、いちはやく国家の近代化を成し遂げることによって、真に独立した国家としての地位を獲得する政治的必要に迫られていたからに他ならないが、急速な国家の近代化は、一方では近代化の名を借りた西欧化への偏重をきたし、それはなかんずく井上馨外務卿による鹿鳴館外交のように、列強への露骨なすり寄りと追従政策になって表れたのである。こうしたなかで、旧士族を中心とする国民の一部は政府への不満を募らせたが、征韓論争を発端とする明治六年の政変で西郷一派が下野すると、反政府運動は燎原の火の如く在野に燃え広がった。これに対して政府は新聞紙条例や讒謗律などを公布して反対党を厳しく弾圧し、ついに明治十年西南戦争の勃発をもって不平士族による反政府運動はその極点に達したのである。

アジア主義の淵源
 西郷は政府の欧化政策に対して、ご皇室を戴く我が国の国粋護持を以ってし、また西欧列強の覇道を戒めてアジアの道義を唱導した。それは『西郷南洲翁遺訓』に「廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居ゑ風教を張り、然して後徐かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。」とあり、また「文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些とも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟めて言無かりきとて笑はれける。」あるのでも明らかである。
 このように西郷は、欧化に対する国粋、覇道に対する王道の精神を体現する存在であったのである。
城山の自決で西郷の肉体は滅んだが、その高貴な道義精神は、彼の精神的子孫によって継承された。その一人である頭山満は、大アジア主義の巨頭として知られるが、彼が率いた福岡の玄洋社は興亜の志望に燃えた多くの人士を朝野に輩出し、なかでも頭山と同志の来島恒喜は、外国人の内地雑居や外国人判事の登用といった屈辱的な条約改正案を進めていた外務卿の大隈重信に爆裂弾を投擲し、文字通り大隈を「失脚」に追いやった。頭山は来島の葬儀で「天下の諤々は君が一撃に如かず」と弔辞を述べ、この事件によって玄洋社の名は天下に轟渡ったのである。また玄洋社における少壮有為の若者たちは、アジア復興を夢見て大陸に雄飛し、ときには乞食同然の姿でつぶさに辛酸を舐めながらも、アジアの各地を踏査して風俗や人情などの情報収集に努めた。こうした大陸浪人と呼ばれる志士たちの領袖となったのが頭山であり、彼は、明治政府による欧化偏重を排して国体の守護者を以て任じると共に、金玉均やアギナルド、孫文といったアジア独立の志士たちを献身的に支援することによって、アジアに王道を敷くべしとする南洲翁の精神を継承しようとしたのである。

民権と国権
 戦後、玄洋社は、我が国によるアジア侵略のお先棒を担いだ国権団体の権化とされ、頭山も、大アジア主義者というよりは、「右翼の親玉」や、「政界の黒幕」と云ったダークなイメージが植え付けられたが、明治十四年に創立された玄洋社は、そもそも自由民権団
も政府・吏党と在野・民党の争いがあったが、両者を通じて尊皇という一点にはいささかの相違もなかった。そして「攘夷」は、明治国家における国権の伸長となり、「公議公論」は民権の伸長となって現れた。その上で、この民権の伸長としての「公議公論」は、君民一体の我が国において、「尊皇」、すなわち皇権の恢復と軌を一にし、それは「徳川」と「列強」という内外の「夷狄を攘う」、すなわち「攘夷」を断行することによって成し遂げられた。『自由党史』にいわく、「維新の改革は実に公義輿論の力を以て皇室の大権を克復し、国民の自由を挽回し、内に在ては以て一君の下、四民平等の義を明らかにし、挙国統一の基礎を定むると倶に、外に向っては波濤開拓の策を決し、万邦対峙の規模を確立したることを。誠に是れ中興国是の帰着する所にして、是に於てか武門特権の階級的天地を破壊せる後ち、直ちに建設の方向に全力を投ずべき時機に達せり。」と。このように、当時の国民精神において、皇権の恢復は民権の伸長と同義であり、国権は、こうした君民和協の妨げを払い除けるための権力として認識されていた。
 玄洋社の民権論もまた、あくまで尊皇を基軸に据えたものであり、現行憲法が依拠する西欧起源のデモクラシーの思想とは全く似て非なるものである。それは玄洋社の前身で、箱田六輔を社長、頭山満を監事に配した向陽社の民権思想に関する以下の記述(上掲した頭山氏の著作)からも明らかである。いわく「向陽社の普選思想は、まったく日本的な君民一体の国体観の常識から出たものだった。無私にして、民の幸福を皇祖に祈られることをみずからの務めと信じられる祭祀権者天皇は、人民を「おおみたから(公民)」として、その権利を保証して、慈しまれる。権利を保証せられた人民(臣民)は、天皇に捧げる忠誠心において万民貴賎のへだてなく平等である。大臣も乞食も、天皇に対して完全に平等に忠誠を尽くそうとする、誇らしき義務意識を有する。この日本的「臣民の権利義務」は、西欧における君主あるいは国家が、人民に対し、その安全を保証するサーヴィスを提供し、人民はそのサーヴィスに相応する代価を、君主、国家に支払うという対立的契約観念が源流となる「権利・義務」概念とまったく異なるものであることは明瞭である」。
 玄洋社が民権団体の看板を捨てて国権主義に転向した契機としてよく指摘されるのが、明治二十四年の第二回総選挙に際して、頭山がときの松方正義内閣、なかでも内相の品川弥二郎と結託し、政府による選挙干渉、民権派の弾圧に加担した一件である。この一件を以って民権派たる頭山の変節と見なす意見もあるが、事の事情をよくよく調べてみると、主義を転向し節を変じたのは玄洋社や頭山ではなく、むしろ彼や彼らを取り巻く、政府であり民党の方であることが判る。というのも、政府の方では、「万機公論に決すべし」とする五箇条誓文を奉じながら、もっぱらの現実は薩長藩閥が大政を壟断し、明治十五年の集会条例改正、明治十六年の新聞紙条例改正、出版条例改正と続く一連の言論弾圧政策によって民党を圧迫する一方で、不平等条約の改正交渉に於いては西欧列強に対して屈辱的な譲歩を繰り返し、国民の怒りを買っていた。
 しかし一方の民党の方はどうかというと、それまで条約改正(国権)と国会開設(民権)を不可分のテーマとしてきた板垣退助率いる愛国社の運動が、政府の懐柔によって条約改正の要求を引っ込め、国会開設期成同盟への改組の後は、その運動目標を国会開設に限定したように、国権の主張を放棄して民権の主張に偏向し出したのである。愛国社は板垣退助率いる土佐の立志社が中心になって結成された民権派の全国組織であり、大久保暗殺後の明治十一年に開かれた愛国者再興集会には、福岡を代表して後に玄洋社社長を務める進藤喜平太と頭山満が参加している。その後、福岡と愛国社の繋ぎ役は、共愛会を代表して箱田六輔が担い、彼は板垣をして「箱田あれば西南方面は安心なり」とまで評さしめたが、頭山は、次第に上述した民党の変節と堕落に幻滅し、むしろ一部では「国権党」と揶揄されていた熊本紫溟会の佐々友房等に接近した。この結果、頭山は箱田一派と疎隔を来たし、玄洋社内での孤立を深めていった。「一人でいても寂しくない男になれ」とは、そのときの彼が発した言葉とされている。
 このように、民権と国権を国家の発展にとって不即不離の双翼と考えていた頭山にとって、政府が国権に揺れ動き、また民党が民権に揺れ動きするのは、ともに容認しがたい変節であり、だからこそ頭山は「舟が右に傾けば自分は左に寄り、左に傾けば、自分は右による」というのを生涯のスタンスとし、ときには孤立をも顧みず、日本という船が覆らぬようにバランスを取るのを自己の使命と任じていたのである。このバランス感覚が判らなければ、晩年の頭山が大東亜戦争には諸手を挙げて賛成しつつも、東條の翼賛体制には反対し、中野正剛をして『戦時宰相論』を書かしめた所以も判らない。
 しかし頭山の乗る舟の船首は常に「尊皇」という不動の方向を向いていたのであり、それだけは絶対の信念として微動だにしなかった。頭山は、高場乱の下で浅見絅齋(山崎闇齋の高弟)の『靖献遺言』を愛読して忠勇義胆を錬り、また同郷の平野國臣に洗礼を受けた筋金入りの尊皇家だ。それは次のような頭山の発言からも覗える。「我が日本の天子様は宇宙第一の尊い生神であらせられる。そして一切の万物悉く天子様の御物でないものはない。わけても、その最も大切な御宝は、吾々一億の日本臣民である。この天子様の大みたからである吾々臣民の生命は、自分の生命であって而も自分のものではない。天子様の御為に死すること、それは臣民として大慶此上もないことである。」(藤本尚則編『頭山精神』)

皇道の恢弘
 かように尊皇絶対の頭山にとって、彼の抱いた興亜思想は、内に対する民権の伸長と同じく、アジアに対する皇道の恢弘に他ならなかった。それは、同じアジア主義者で頭山と交流のあった宮崎滔天が夢想した天賦人権のユートピアとは明瞭に一線を画する理想であった。民権一家の宮崎家のなかで、滔天が最も感化を受けた六男の弥蔵は、『三十三年の夢』のなかで次のように、アジア復興の志望を述べている。
 「おもえらく、世界の現状は弱肉強食の一修羅場、強者暴威を逞しゅうすることいよいよ甚だしくして、弱者の権利自由、日に月に蹂躙窘蹙せらる。これ豈軽々看過すべきの現象ならんや。いやしくも人権を重んじ自由を尊ぶものは、すべからくこれが回復の策なかるべからず。今にして防拒するところなくんば、恐らくは黄人まさに長く白人の圧抑するところとならんとす。しかしてこれが運命の岐路は、かかって支那の興亡盛衰いかんにあり。支那や衰えたりといえども、地広く人多し。能く弊政を一掃し統一駕御してこれを善用すれば、以って黄人の権利を回復するを得るのみならず、また以って宇内に号令して道を万邦に布くに足る。要は、この大任に堪ゆる英雄の士の蹶起して立つ有るに在るのみ。われ是を以ってみずから支那に入るの意を決し、あまねく英雄を物色してこれを説き、も
 荒尾は明治十八年、陸軍参謀本部付の将校としてシナに渡り、その後、岸田吟香が上海で売薬業を営んでいた楽善堂の支店を漢口に開くことで、商家に扮して諜報活動に従事した。この漢口樂善堂は、玄洋社員を始めとする興亜志士たちの梁山泊となり、シナ浪人の宗方小太郎や石川伍一など多くの人士が出入りした。また荒尾はシナ各地の実情を調査した結果、日支提携の必要性を痛感し、その為に、両国の貿易振興を目的とした日清貿易研究所、後の東亜同文書院を創立した。この研究所からは、清国改造を志し、明治初期の我が国民としていち早く新疆の偵察に赴いた浦敬一(詳細は拙稿、「清国改造を志し、新疆偵察の途上で消息を絶った東亜の先覚烈士、浦敬一」参照)や、日清開戦に際し軍命を帯び遼東半島の敵情視察に赴いた結果、刑場の露と消えた「三崎」こと殉節三烈士(詳細は拙稿、「生を捨てて義を取る―「三崎」こと「殉節三烈士のこと」参照)など、シナ大陸の言語や情勢に精通し、戦時は通訳官や情報将校として活躍した多くの志士たちを輩出している。荒尾は早くも陸軍士官学校の時代から、頭山と同じく『靖献遺言』を愛読して忠義を養い、学内では「靖献派」の領袖として畏敬されていた。しかも彼は上述したように、皇道恢弘としての大アジア主義を抱きながら、同時にその理想を具体化する事業家としての経綸も兼ね備えていたのであり、彼が説いた日清韓三国の提携は、「祖国を熱愛するが故に支那朝鮮を誘導扶助して、東洋を護る障壁たらしめんと」(『東亜先覚志士記伝』)する冷徹な戦略に裏付けられていた。このように、大アジア主義の戦略的な実践家である荒尾と、アジア復興のロマンチシズムに耽る滔天には同じアジア主義者でも聊かの疎隔があるのであって、それは滔天が前出した『三十三年の夢』のなかで、荒尾一派を目して「支那占領主義者の一団なりとなし、異主義の集団なり」として毛嫌いしていた事実とも無縁ではない。

怜悧な情勢認識
 こうした荒尾と滔天の疎隔は、後に犬養毅や頭山等の民間志士が、アギナルド率いるフィリピンの独立党に武器を援助しようとして失敗した、いわゆる「布引丸事件」の際にも現れた。当初、滔天が香港で出会ったアギナルド側近のポンセを犬養に紹介したのは、フィリピン独立を想う一片の義侠心によるものであったが、かたや犬養の依頼を受けた玄洋社頭山満や平岡浩太郎、その甥の内田良平などが、この独立運動を援助した背景には「それより前に内田良平氏がシベリア鉄道のエキの状況を視察かたがたシベリアの冒険旅行を企て、遂に露都に入った際、セントペテロブルクの日本公使館には八代六郎、廣瀨武夫などという海軍将校中の錚々たる逸材が駐在武官として滞在していて、共に国事を談じ合った末、日本は一面に露国の東方経略の鋭鋒を挫き、朝鮮、満州、蒙古、東部シベリアに強固なる地歩を占めると共に、一面にはマレー半島からフィリピン群島に我が海軍根拠地を得、これを国防の第一線としなければ、太平洋の制海権を握り、帝国永久の安危は期せられぬというに一致し、内田氏の帰朝後、福岡玄洋社の頭山、平岡等も此の説には非常に共鳴していた」(『犬養木堂伝』、原書房)というような深謀遠慮があったという。
 
 また他にも、尊皇家の頭山が、同じ日本への亡命客でも、保皇派の康有為ではなくて共和派の孫文を支援した背景には、孫文満州の我が国への割譲を頭山に約したことが一因を成したともいわれている。このように、大アジア主義の思想と運動は、単にアジアの独立を夢見る豪傑たちの武勇伝に止まるものではなく、その根底には、冷厳な国際情勢の認識に裏付けられた深謀遠慮があった点が重要である。(もっとも、以上で筆者は、あえて荒尾と滔天の差異をクローズアップすることで、大アジア主義の真相を明らかにしようとしたが、滔天が荒尾を「支那占領主義者」と呼んだのは単純な誤解によるという意見もあり、また彼が二兄の弥蔵と同じく影響を受けた長兄の八郎は、十二歳から月田蒙齋に師事して崎門学を学んでいることなどから、彼の思想を単純にキリスト教やルソー直訳流の民権論の影響によるものと決めつけるのは早計かもしれない。)
 このように、玄洋社の興亜思想は、皇道恢弘を目的とした対アジア外交の理念でありながら、同時に冷厳な国際情勢認識に裏付けられた経綸をも兼ね備えていた。それはとりもなおさず、いかに崇高な理想も、それを実現しうるのは、国家の強大な権力のみであるという彼らの醒めた認識によるものであろうが、しかしその国権もまた、前述したように、彼らにとっては皇権と一体化した民権を内外に於いて伸長するための一手段に過ぎないのである。この微妙な民権、国権、尊皇の均衡点に立脚するからこそ、内田良平は、「日韓併合」を推進する伊藤統監に仕え、権力の側に立ちながら、一方では「日韓合邦」を主唱して、その武断統治を戒めたのである。
 以上、政治的・文化的側面よりみた大アジア主義について概説したが、その要点を以下のようなものであった。
 第一に、大アジア主義は明治政府の欧化路線ないしは西欧列強に追従したアジアへの覇道外交に対抗し、西郷南洲を精神的淵源として、天皇を戴く国体の護持、王道外交を唱導するものである。
 第二に、西郷精神の継承者である頭山満や彼が率いた玄洋社にとって、尊皇、民権と国権は、三位一体の概念である。しかるに政府は国権に偏して恩賜の民権を弾圧し、一方の民党は浮薄な民権論に堕して国家の根基を危うからしめた。そこで頭山は、舟のたとえにあるごとく、時に応じて立ち位置を右に変え左に変えしたが、尊皇という一点に於いて不変であった。
 第三に、我が国の対アジア王道外交は、皇道の恢弘に他ならならず、西欧的なヒューマニズムや万国平等の原則とは一線を画する固有の普遍主義を内包していた。しかし、荒尾精や頭山、平岡、内田といった玄洋社の抱いた興亜思想は、ただ皇道の恢弘を鼓吹するだけではなく、我が国内外の冷厳な情勢認識に基づいた現実的利害とも合致していた。

今日的意義
 かくのごとく要約される大アジア主義の今日的意義は何か。
 第一の点に関して、明治政府が列強から不平等条約を押し付けられていたのと同様に、戦後の我が国も、アメリカによる不平等な安保条約・地位協定を課された半独立国であり、「日米同盟」の名の下に盲目的対米追従を続けてきたが、米ソ冷戦以後はその傾向に拍車がかかった。内政では、我が国を仮想敵国とする米国の外圧に屈し、新自由主義的な構造改革を強行し、外交的にはアメリカのアジア侵略に加担して、国際テロリズムの標的にされている。こうした一連の対米従属強化策が、長州の申し子ともいうべき安倍晋三首相に推し進められているのはいかにも歴史の皮肉である。
 また第二の点に関して、我が国の政府も政党も、国民主権の名の下にご皇室を蔑ろにし、「民のかまど」を思召す一視同仁の大御心は国民に届いていない。戦後の占領遺制のなかで、尊皇の大義は捨て置かれ、軍事力を含む我が国の主権は制約された。その一方で、政府はテロ対策や治安維持を名目とした言論の統制を強化し、一連の新自由主義的な構造改革を推し進めることによって、国民における貧富貴賤の格差を助長し、我が国に社会的文化的断絶を引き起こしているのである。このように、本来我が国では三位一体を成すはずの皇権(尊皇)・民権・国権は、戦後体制の呪縛の中で却って三権分立の如き相反に陥っている。
 そして最後に第三の点に関して、戦後の自民党政府が固守してきた「日米同盟」の名による対米従属は、アメリカの覇権が衰退し、中国の軍事的台頭と覇権主義的侵略行為を充分に抑止しえなくなりつつある今、最早戦略的にも合理的とは言い難く、むしろアジアにおける強力な第三国との連携によるリバランスが必要である。こうした地政学的基礎の上において、我が国は対アジア王道外交の理念を掲げ、西欧的なパワー・ポリティークスを超えるアジア王道秩序の建設を目指すべきである。無論、我が国がアジアに王道を唱える以前に、一個の国家として自主独立の気概を持たねばならないのはいうまでもないが、同時に大アジア主義は、荒尾精の処でも見たように、アジア友邦との提携を梃子として、我が国の独立を画策する構想でもある。したがって国体顕現としての維新と皇道恢弘としての興亜は車軸の両輪たるべく、相倚り相俟つ関係に立たねばならない。 
 次回では、大アジア主義の道義的・文明的側面に眼を転じて論じてみたい。(続く)